八雲通
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
明治34年(1901年)、周辺の耕地整理が完成した時に神戸市葺合町の一部から成立した[4][5]。当初は「葺合」を冠称した葺合八雲通(ふきあいやぐもどおり)だった[4]。区制施行により昭和6年(1931年)に神戸市葺合区の町名となった時に八雲通となり[4]、葺合区が生田区と合併した昭和55年(1980年)からは神戸市中央区の町名となった[4]。
地名の由来は『西摂大観』によれば未詳だが、『葺合懐古三千年史』によれば近くにある中村八幡宮と北側の東雲通から1文字ずつ組み合わせたとある[4]。これに対して『神戸の町名』では古歌にある「八雲起つ」からの命名だろうとしている[5]。
大正9年(1920年)、三丁目に八雲尋常小学校が開校。大正15年(1926年)に女子を対象とした高等小学校となる。同年、同校舎内に神戸市立葺合女子技芸学校が移転し、昭和8年(1933年)に神戸市立女子技芸学校と改称し、昭和15年(1940年)に小野柄通一丁目に移転した。高等小学校の方は昭和22年(1947年)に廃校となった。[4] この一帯は、かつて新川スラムと呼ばれるスラム街であった。