旗塚通
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歴史
町名は、明治時代まで六・七丁目の北の境あたりにあった旗塚(別名灰塚)という古墳から。この塚については、寿永3年(1184年)一ノ谷の戦いの時源範頼が生田川の東に陣取って古墳に源氏の旗を立てたから旗塚と呼んだという伝説(西摂大観)、また、元弘3年(1333年)赤松則村が摩耶山に立てこもって京都六波羅の軍勢を迎え撃った際生田川周辺が主戦場となり戦死者や武具を葬ったところを灰塚と呼んだという伝説(葺合懐古三千年史)が残るが、真偽は不明。塚からは明治30年頃の耕地整理の際刀剣類が出たという[1]。
明治36年(1903年)に神戸市葺合町から成立。昭和6年(1931年)の区制施行までは「葺合」を冠して葺合旗塚通と呼ばれていた。大正5年(1916年)まで2~7丁目。はじめ神戸市、昭和6年(1931年)より同市葺合区、昭和55年(1980年)より同市中央区に所属。