真砂通
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歴史
町名の由来となったとされる長歌
原文:八千桙之 神乃御世自 百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者 朝風尓 浦浪左和寸 夕浪尓 玉藻者来依 白沙 清濱部者 去還 雖見不飽 諾石社 見人毎尓 語嗣 偲家良思吉 百世歴而 所偲将徃 清白濱
訓読:八千桙の 神の御代より 百舟の 泊つる泊りと 八島国 百舟人の 定めてし 敏馬の浦は 朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る 白真砂 清き浜辺は 行き帰り 見れども飽かず うべしこそ 見る人ごとに 語り継ぎ 偲ひけらしき 百代経て 偲はえゆかむ 清き白浜
明治34年(1901年)に神戸市葺合町の一部から成立[4]。初め神戸市の町名で、区制が施行された昭和6年(1931年)に神戸市葺合区の町名となり、葺合区と生田区が合併した昭和55年(1980年)からは神戸市中央区の町名となっている[4]。昭和47年(1973年)に一部が脇浜海岸通となっている[4]。
町名の「真砂」とは細かい砂を指し、由来については、『葺合懐古三千年史』によれば田辺福麻呂の「八千矛の」で始まる長歌の「玉藻は来寄る白真砂」という一節から町名にしたとあり[4][5]、また『西摂大観』によれば東部の海岸に沿っていることから付いたのだともいう[4]。
この土地はかつて新川スラムと呼ばれた貧民街の一部であった[6]。 ここに明治41年(1908年)、大森喜作らが神戸矯修会を設立して改善事業を開始、大正4年(1915年)には矯修会保育所を設立し、大正12年(1923年)に神戸市へ移管されて県下初の公立保育所となった。[4]
明治43年(1910年)、神戸電気鉄道が春日野道~兵庫駅前間で開業、これがのちの神戸市電であり[4]、同鉄道は昭和46年(1971年)までに全線が廃線となっている[7]。
昭和45年(1970年)、阪神高速道路神戸西宮線(阪神高速3号神戸線の一部)が完成し、付近に生田川出入口が設けられた[4]。