出流原遺跡
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佐野市内を流れる渡良瀬川の支流・出流川東岸の台地上に位置し、現在の佐野市立出流原小学校校地とその一帯を遺跡範囲とする[1]。現在の遺跡地図では縄文時代から平安時代にかけての遺構・遺物を包含する遺跡として登載されているが[1]、なかでも弥生時代の再葬墓の発見がもっとも著名な調査成果として知られている。
1964年(昭和39年)に出流原小学校のプール建設に先立つ事前調査で発見され、同年および翌1965年(昭和40年)に、杉原荘介を中心とする明治大学の調査隊が発掘調査を実施した[4]。その結果、34平方メートルの調査範囲から37基[5][注釈 1]の土坑(再葬墓)が検出され、約100個体の壺形土器が出土した。土器は再葬墓の蔵骨器と見られ、副葬品として多くの管玉が検出された。
壺形土器には、1点のみ、人物の顔面を表現した「人面付土器」が含まれていた。出流原遺跡以外の一般的な人面付土器は、人頭の頭頂部に容器の口(口縁)が開くものが多いが、当遺跡の人面付土器は、容器の口が大きく開いた人面の口として表現されており、このような事例は全国でも数点しかない珍しい事例とされる[6]。
出土遺物は折半され佐野市と明治大学がそれぞれ所有しているが、明治大学保管品の一部(人面付土器を含む)は、1982年(昭和57年)に国の重要文化財に指定され[3]、佐野市保管品は佐野市指定有形文化財に指定されている[2]。