且龍は、阿波徳島藩士の前野庄右衛門且朝の嫡男に生まれる。母は後妻である村瀨又右衛門長恒の娘である[1]。
初め前野悦之助と名乗り、後に前野悦十郎と改めた[1]。諱は通し字の「且」の字をとって且龍と称した[1]。嶋實兵衛重昌の娘[2]を正室に迎えたとされる[1]。
享保17年(1732年)3月6日、父の且朝が病死すると、同年5月14日に父の家督を継承した[1]。淡路国由良浦に屋敷を持っていたが江戸に在したという[1]。病気が重かったために川田澁信[3]の次男の京助(後の前野且清)を養子に迎え、妹婿とした[1]。且清の母は前野且朝の妹であり、且龍からは従兄弟にあたる[1]。
寛保3年(1743年)4月22日、病死した[1]。