前野泰道
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人物
尾張国の土豪・前野家の前野時之の長男に生まれ、前野勘兵衛泰道を名乗る。父の時之は前野時氏の息子とも云われるが、養子であるとされ[1]、実は山内氏の出身で山内盛豊の弟であるという。泰道は山内一豊の従兄弟にあたる。
弟の前野泰衡と共に前野長康に仕えたとされ、永禄7年(1564年)の鵜沼城攻めに前野勘兵衛なる人物が招集されている[2]。『武功夜話』巻二ではこの前野勘兵衛を息子の豊成に比定するが、豊成は天正3年(1575年)生まれであり通称も掃部である。この勘兵衛は日比野六太夫、青山新七郎とともに伊木山攻めの部隊に属した[3]。
元亀元年(1570年)、金ヶ崎の戦いに父の時之や従兄弟の山内一豊らとともに参戦した。
土佐前野氏の系統上の祖にあたり、子孫は土佐藩山内家に仕えた。泰道の三男は、山内家臣として名高い五藤為浄の姪婿として養嗣子となり、五藤浄清を名乗って五藤家の家督を継いだ。