寛政2年(1790年)12月、隠居(蟄居とも伝わる)した兄・前野自道の家督を継ぐ[1]。
元は前野自行の四男だが、嫡男と次男が次々と若くして亡くなったため、三男の自道が自行の家督を継いだ[1]。
福屋邦喬の娘を室に迎え、三女を邦喬の孫である福屋兼美に嫁がせるなど、福屋家との関わりを強くした[1]。
嫡男の前野自敏は、新撰組の隊士になった後に靖兵隊の伍長として活躍した前野五郎の父としても知られる[2]が、『蜂須賀家家臣成立書并系図』には五郎の名は記載されておらず、出典は明確ではない。文化14年(1817年)5月、病没する[1]。