前野高長

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 平安時代末期、(鎌倉時代?)
生誕 不詳
死没 承安3年(1173年)1月27日
改名 良岑高長→前野高長を称した
 
前野高長 / 良岑高長
時代 平安時代末期、(鎌倉時代?)
生誕 不詳
死没 承安3年(1173年)1月27日
改名 良岑高長→前野高長を称した
別名 通称:前野大夫
実名:良岑高長 / 別名:立木田高長
官位 散位従五位下左兵衛尉[1]
主君 平忠盛[2]
氏族 良岑氏立木田氏、良岑氏流前野氏(始祖)
父母 父:良岑高成 母:不詳[注釈 1]
兄弟 原高春立木田高義前野高長下野高弘、女子(平忠盛の側室)
滝口宗長羽黒長高、女子
テンプレートを表示

前野 高長(まえの たかなが)は、平安時代末期の豪族良岑高成(立木田高成)の子[1][2][3]。別名・立木田高長良岑高長散位左兵衛尉[1]

前野高長は、良岑高成の子として平安時代後期に尾張国丹羽郡で生まれる[2]。生母は上総広常の娘、あるいは妹、または前野光幹の娘。始め良岑高長もしくは立木田高長。丹羽郡小弓荘の荘園の荘主となって土地の開発を進める。

異説として、高長の生母が多姓前野党の生まれといわれ、その由縁をもって稲木庄の地を前野村と号す。現在の愛知県江南市前野町付近。前野村の草分けとなって前野大夫を称し、良岑氏流前野氏の祖となる[2][注釈 2]。高長はこの地を伊勢神宮に寄進し、前野村は神宮の御厨となった[4]。毎年八丈絹十五疋上納めたという[4]。また法性寺関白に伺候している。

子孫に前野長康前野忠康前野助左衛門佐々宗淳前野五郎などがいる。

良岑氏

系譜

脚注

Related Articles

Wikiwand AI