加藤喜美枝
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東京府(現在の東京都台東区山谷)の出身[2]。結婚後は夫である加藤増吉の営む鮮魚店「魚増」の切り盛りと、4人の子供達(後の美空ひばり、佐藤勢津子、かとう哲也、香山武彦)の子育てをしながら主婦業を務めた。
1943年6月、第二次世界大戦に夫・増吉が海軍に出征となり壮行会が開かれ、和枝(後の美空ひばり)は父のために『九段の母』を歌った。壮行会に集まった者達が和枝の歌に感銘し、涙する姿を目の当たりとした母・喜美枝は和枝の歌唱力に人を惹き付ける可能性を見出して、地元の横浜近郊から和枝の歌による慰問活動を始めるようになった。 和枝の芸名「美空ひばり」は喜美枝が決定したものである。
沢島忠曰く「娘のためなら、たとえ火の中水の中」ともいうべき人柄だったといい、ひばりの業績における喜美枝の役割は大きかった。一方でひばりと小林旭の入籍に最後まで反対し(喜美枝曰く「人生で一番不幸だったのは娘が小林と結婚したこと、人生で一番の喜びは娘が小林と離婚したこと」と公言して憚らなかった)たり、賭博幇助容疑や任侠界との交際など不祥事を重ね世間から問題視されていた哲也の存在が仇になって、全国の公会堂や市民ホールから「弟を出すならひばりに舞台を貸さない」と使用拒否の警告を受けたりするなど喜美枝の信念がトラブルに発展することもあった。
最期
脚注
- 1 2 加藤喜美枝とは - コトバンク
- ↑ 新藤謙『美空ひばりとニッポン人』晩聲社、1998年、16-17頁
- ↑ 『ザ・スター リバイバル』 第4回(BSフジ 2013年11月9日)放送分 加藤和也コメントより
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