南房総岩井温泉
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温泉街
関東地方の南西部、東京湾に面し年間を通して温暖な太平洋側気候に恵まれており、背後には富山を眺望できる景勝地に位置する。海岸沿いは南房総国定公園に指定されており、富山周辺は県立富山自然公園に指定されている。
周辺は海水浴場や別荘地、レジャー施設、マリンリゾート、ハイキングコースが多く、観光地・避暑地となっている。また、気候が温暖なことから花卉栽培も盛んで花畑が多い。
源泉名や宿泊施設での呼称によって温泉名称が異なり、岩井湯元温泉・小浦弁天温泉などが存在する。かつては南総里見八犬伝ゆかりの地である富山の岩婦湖畔には岩婦温泉があった[7]。
岩井海岸の近辺に複数の内湯・宿泊施設が存在する。外湯・日帰り入浴施設もあるが、多くは旅館・ホテルに温泉施設が設置されたものである。
歴史
鎌倉時代に1180年(治承4年)、石橋山の戦いにて大庭景親ら平氏方との間で行われた戦いに敗れた源頼朝が再起を期して、箱根権現社別当行実に匿われた後に箱根山から真鶴半島へ逃れ、船を仕立てて現在の岩海水浴場(神奈川県真鶴町)から出航。頼朝らは海上で三浦一族と合流し、安房国を目指して落ち延びた[8]。その後、頼朝が岩井を通過する際に池で手を洗い、海上より江ノ島(神奈川県)方面を眺めると神霊が現われ、そこに弁財天を祀ったと伝えられており、弁天温泉の元湯はその杜の近くの洞穴から湧出している[5]。
明治中期の『勝境名区遊覧案内』には岩井海岸について「小湾の内波穏やかにして湖水澄めるを以て海水浴には最も適当の處なるに近年鉱泉湧出して温浴場を設けし為め温泉と海水浴を兼ねたる一挙両得の地となりぬ」と記され、高崎鉱泉と名付けられた温泉旅館が海岸沿いにあり、泉質に効能があったことが分かる[9]。
第二次世界大戦後、1950年代中期(昭和30年代)に入ると高度経済成長を背景に温泉掘削が増え始め、1954年(昭和29年)には当時の千倉町、白浜町、館山市など、主に南房総地域で温泉掘削が許可されるようになった[9]。
南房総の観光中心地域でもあり、温泉開発への投資が活発であったことから現在の温泉郷が広がるようになった。
交通

公共交通機関
施設などによって最寄りは異なるが、JR東日本・内房線「岩井駅」、内房なぎさライン(国道127号)沿い、ハイウェイオアシス富楽里(道の駅富楽里とみやま)が主な最寄りとなる。
高速バス
ハイウェイオアシス富楽里 ※下りは降車専用
- 東京駅 - 館山駅 - 安房白浜駅【房総なのはな号】(JRバス関東・日東交通)
- 新宿駅 - 館山駅【新宿なのはな号】(JRバス関東・日東交通)
- 千葉みなと駅 - 千葉駅 - 蘇我駅 - 館山駅前 - 安房白浜駅【南総里見号】(ちばシティバス・日東交通・館山日東バス)
- 横浜駅 - 羽田空港 - 館山駅前(京浜急行バス・日東交通)
自動車
- 一般道路
- 内房なぎさライン(国道127号)