台湾漫遊鉄道のふたり
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| 台湾漫遊鉄道のふたり 臺灣漫遊錄 | ||
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| 著者 | 楊双子 | |
| 訳者 | 三浦裕子 | |
| 発行日 |
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| ページ数 | 371[1] | |
| コード | ISBN 978-4-12-005652-9 | |
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『台湾漫遊鉄道のふたり』(たいわんまんゆうてつどうの ふたり、繁体字: 臺灣漫遊錄)は、楊双子による長編小説。1938年の日本統治下の台湾に招かれ各地を旅する日本人女性作家の視点で、台湾人女性通訳との交流を描く。
2020年に台湾で刊行され、2023年に日本語訳が、2024年に英語訳が刊行された。2024年に全米図書賞翻訳文学部門受賞、日本翻訳大賞受賞。 日本語版の出版社紹介では「台湾グルメ×女たち×鉄道小説」であり[2]、大衆小説創作者を自認し[3]サブカルチャー・大衆文学研究家でもある[4]著者によって、綿密な史料考察に基づいて創作された「歴史百合小説」である[5]。
構成・あらすじ
冒頭に『台湾日日新報』(昭和13年7月11日)の青山千鶴子による記事「魚藤坪断橋神遊」を掲載し、続いて青山千鶴子『台湾漫遊録』を収録する構成であり、登場人物及び関係者によるまえがき、あとがきを付している。 台湾の宴会料理12品になぞらえて12章からなる[15]。以下章題と括弧書きの説明は日本語版によるものである。
- 昭和29年『台湾漫遊録』初版まえがき
- 一 瓜子(瓜の種)-5月、台北州基隆港に到着した千鶴子は、汽車で台北市内を経て台中駅に至る。買い物のおまけに瓜子をもらい、日本語を話す若い女性に食べ方を教わる。台中市役所の美島に案内され、日新会の高田夫人の歓迎を受けるが、千鶴子は市場で見たような本島人の食べ物を望む。紹介された通訳は、市場で会った女性王千鶴であった。
- 二 米篩目(米粉の太うどん)-台中高等女学校で講演した千鶴子は、学校の職員が千鶴を雑役婦扱いすることに立腹する。その後別の学校でも同様のことがあり、会食を辞退して6月から滞在している和風建築の小宅に帰宅する。通ってくる千鶴に米篩目を料理してもらい、茘枝を剥いてもらいながら、千鶴子は旅行記『台湾漫遊録』の構想を語る。
- 三 麻薏湯(黄麻(zh-tw:麻芛)の葉のスープ)-彰化市の映画館で千鶴子原作の映画『青春記』の上映と、茶話会が開かれる。ふとしたことから、千鶴子は千鶴の出自や幼少期の金銭的苦労、許嫁の決められた将来や小説の翻訳家になる夢を知る。黄麻の若葉を下拵えして調理した夏の食べ物麻薏湯を作ってもらい、鹿港で買い求めた肉団子や、千鶴の持参した鹹蜆仔と一緒に二人で食べる。
- 四 生魚片(刺身)-頂橋子頭から歩いて通ってくる千鶴を家に住まわせたい千鶴子は千鶴とサイコロの出目を競う遊びをするが、勝つことができない。紀行の原稿を書き進めながら、千鶴に麺線や潤餅巻など様々な料理を作ってもらう。お礼に料亭で刺身などをふるまうが、千鶴からは本島人には刺身の美味しさがわからないからと、代わりに嘉義の布袋港で、海産物を熟成させた膎[16]を食べることを提案される。8月、二人は嘉義高等女学校(現国立嘉義女子高級中学)を講演で訪問した後、旅館で膎や他の魚料理を食べ、台湾料理について語り、酒に酔う。
- 五 肉臊(肉のうま煮)-二人は講演のため高雄に旅行し、街中で 滷肉飯を売る天秤棒の物売りを見かけるが、立ち食いのため諦める。講演会後の宴席で、千鶴が長衫を着ていることを主催団体の女性が遠回しに非難した。翌日、台風接近の最中、千鶴子は強く主張して東洋第一と謳われた下淡水渓鉄橋を見るために潮州線に乗り、大鉄橋と大河を眺める。台中に戻ると、千鶴は千鶴子のために、豚皮を使った肉臊飯を作る。
- 六 冬瓜茶(冬瓜の甘いお茶)-千鶴子が台湾に滞在して半年、二人は台南第一高等女学校(現国立台南女子高級中学)での講演のため台南に赴く。台南鉄道ホテルのフロントで、長衫を着ていた千鶴は本島人への侮蔑である「哩呀(リーヤ)」という言葉を掛けられる。翌日、女学校の宿舎に泊まらせてもらった二人は、内地人の大澤麗子と本島人の陳雀微の友情と喧嘩、そして怪談話を聞かされる。章の題の冬瓜茶 は暑さをしのぐ飲み物として紹介されている。
- 七 咖哩(カレー)-秋になり庭に土人参(ハゼラン)の花が咲く。千鶴子は千鶴に柳川鍋を振る舞う。千鶴子の希望で千鶴に洋装をしてもらい、二人は台北で洋食を食べ、台北鉄道ホテルに宿泊する。道中の汽車では麥煎餅(zh:曼煎粿)を食べた。台中に戻ると、千鶴は三種類のカレーを作り、内地の洋食ではない本島の洋食があると言い、歌仔冊(台湾の民間歌謡の冊子)『十二碗菜歌』の十二品の料理の中に咖哩鶏も出てくると教える。千鶴子から和服を誂えることを提案された千鶴は辞退するが、説得されて受け入れる。千鶴の笑みを千鶴子は美しい能面のようだと感じる。
- 八 壽喜燒(すき焼き)-台北の浴場線(新北投線)に乗り、温泉旅館に宿泊したあと、台北第一高等女学校(現台北市立第一女子高級中学)で講演を行う。千鶴は仕立ててもらった和服を大切にして将来娘に譲ると言う。千鶴子は千鶴を友達だと言うが、彼女の態度を仮面をつけたようだと感じている。本島人である千鶴が牛肉を食べる習慣がないことを考慮して、二人は家で豚肉のすき焼きを食べる。
- 九 菜尾湯(〆のスープ)-台湾で新暦の正月を迎えた後、二人は基隆に旅行し、基隆高等女学校(現国立基隆女子高級中学)で講演、宜蘭線で雙龍瀑布(魴頂瀑布)と竹仔嶺隧道を見る。竹仔嶺隧道と獅球嶺隧道にまつわる台湾縦貫鉄道の小説を着想した千鶴子からまずは今後自分が書く短編小説を漢文へ翻訳してほしいと言われた千鶴は、新聞の漢文欄が廃止されたことを教える。基隆で観光し竹輪や魚丸湯を食べて旅館に戻った際、千鶴子は千鶴の態度が変化したことに気づくが、気分を害した原因がわからない。そんな中で二人は伝説の女性料理人である阿盆師に会いに行き、阿盆師とさいころの十八仔で勝負した千鶴は勝利し、半月後に宴席料理十二品すべての残り物を使って作るスープ菜尾湯を作る約束を取り付ける。しかし直後、千鶴子の発言が元で、千鶴は通訳をやめると言って去る。
- 十 兜麵(五目寄せ餅)-通訳と付き添いは美島に交代し、講演旅行は忙しなく味気ないものになる。約束していた当日、久々に訪れて以前と同じように微笑む千鶴と話す千鶴子は、やはり原因がわからない。二人は阿盆師のコース料理を賞味する。千鶴は、旧正月に兜麺を作って二人で食べるつもりだったが、自分は千鶴子から保護されることを望んでおらず、仕事上の関係を保つべきであり、それが叶わないので正式に職を辞すと告げた。
- 十一、鹹蛋糕(肉そぼろサンドカステラ)-3月に入っても美島が千鶴子の通訳を行い、仕事を管理している。豊原で、地元の菓子店が明治44年に閑院宮載仁親王に献上した西洋式ケーキである鹹蛋糕を食べた千鶴子は、美島との会話をきっかけに、基隆やそれ以前の自分の発言の問題の核心に気づく。
- 十二、蜜豆冰(氷蜜豆) -3月の末、千鶴子は千鶴の住む頂橋子頭まで歩いてみて距離を実感する。千鶴の住まいの詳細を知らないまま周辺を歩き、よろず屋の本島人の老女から食用の向日葵の種を貰う。そこで千鶴子は千鶴と再会し、千鶴にまつわる謎や感情が明かされ、二人は氷蜜豆を分け合って食べる。千鶴子の日本への帰国は翌月に決まっているが、二人はそれを口にしない。
- 昭和45年『私と千鶴の台湾漫遊録』あとがき-千鶴子の養女による「母の思い出」
- 民国79年《一位日本女性作家的臺灣漫遊録》訳者あとがき-王千鶴による「麺線」
- 民国79年《一位日本女性作家的臺灣漫遊録》編者あとがき-千鶴の娘による「旧友との約束」
制作背景
著者楊双子は、日本統治時代の女性の生活や職業について、また植民地の問題についてじっくり考えたいと思ったと本書の執筆の動機を語っている[17]。同時代の読者に伝えるために、当時の人の食物や風景、台湾縦貫鉄道をリアルに描写することを選んだとしている[15]。
王千鶴のモデルは、台湾人初の女性新聞記者と言われる楊千鶴である[18]。また、青山千鶴子のモデルとしては、1930年に約2週間台湾で講演等を行って随筆を残した林芙美子と、1930年代から台湾の民俗文化を作品にした作家で楊千鶴の上司でもあった西川満(zh:西川滿)が挙げられる[18][19]。楊は大学院生の頃林の台湾に関するエッセイを読んで戦前の日本人作家が台湾に来て台湾について書いているということに衝撃を受け、2014年に九州を旅行した際に 林芙美子記念室を訪れている[20]。さらに、叙述方法の一部は、檀一雄と池波正太郎の作品をイメージしている[21]。
刊行後
2020年4月の台湾での初版刊行の際には、青山千鶴子の自伝的小説を、楊双子が発掘して中国語に訳した作品として宣伝された[22]。日本語版に収録された登場人物や親族のあとがき以外にも、架空の作家新日嵯峨子による推薦の序文や、千鶴子の描いた柳川の家のスケッチや間取図、刊行時には既に亡くなっていた楊双子の妹が書いた設定の新版訳者あとがき「琥珀」を掲載していた[22]。内容面でも、文章表現や訳注を多数付す趣向で、翻訳書のような体裁を強調した[22]。
刊行後、実際は現代作家の創作作品であるということが読者にわかると「託名虛構」の手法[23]がネット上で騒動になり[17]、早くも4月10日には出版社が声明を出し[24] 、文学精神に基づく試みであった旨を説明して謝罪した[22][25]。楊も「虚構である文学と、現実である歴史との間の弁証法的思索の試み」であると説明した[22]。その後も同年8月頃まで、「文学と歴史」「真実と虚構」や、多様な解釈、歴史小説についてなどの議論が交わされた[24]。
2023年に日本語版、2024年にアメリカで英語版が刊行された。
日本・台湾共同制作によりドラマ化企画が進行しており、2027年度完成を見込んでいる[26]。
評価
ライトノベルやマンガに近いカジュアルな人物造形や文章である一方、文学賞を受賞するなど台湾文学界では評価されており[27]、翻訳版も含めると複数の賞を受賞している。
- 第45回金鼎賞 (2021年) [28]
- 日本翻訳大賞 (2024年) -三浦裕子による日本語訳版に対して[17]
- 全米図書賞翻訳文学部門(2024年)- Lin Kingによる英訳版に対して[29]。台湾文学として初の受賞[30]
台湾文学研究者の赤松美和子は、本作について、異性愛のような恋愛小説に収まらなかったことにより「ジェンダー、民族、階級の不平等を可視化した」と評している[30]。
全米図書賞の受賞スピーチで、楊は日本統治時代を舞台に小説を書くことについて、「台湾人とはいったい何者なのか」という問いに答え、より良い未来に向かっていくためと述べた[31][32]。
また、Lin Kingによる英訳版は2026年の国際ブッカー賞の候補作となり、審査員からは「メタフィクション的な要素を交えた本作は、味わい深いロマンスであると同時に、鋭いポストコロニアル小説でもある」と評価されている[33]。
出版情報
- 『臺灣漫遊錄』春山出版社 2020年4月 ISBN 9789869866262[23]
- 『台湾漫遊鉄道のふたり』三浦裕子訳 中央公論新社 2023年4月 ISBN 978-4-12-005652-9[4]
- 『Taiwan travelogue』Lin King訳 Graywolf Press 2024年 ISBN 978-1644453155[34]