司馬尚 (戦国) From Wikipedia, the free encyclopedia 司馬 尚(しば しょう、生没年不詳)は、中国戦国時代の趙の将軍。 紀元前233年、秦が王翦を大将として趙を攻めてきたので、幽繆王は李牧と司馬尚を将として対抗させた。趙は秦軍を破り(肥下の戦い、番吾の戦い)、これを退けた[1]。 紀元前229年、秦が王翦、楊端和、羌瘣を将として趙を攻めた。攻めあぐねた王翦は趙の佞臣郭開を買収して反間計を施し、幽繆王に李牧と司馬尚が反逆を企んでいると讒訴させた。幽繆王は李牧を解任し、代わりに趙葱と斉将・顔聚を置いた。李牧はこれに従わなかったため密かに処刑され、司馬尚は罷免された。その後、約3ヵ月で趙は滅びた[2]。 脚注 ↑ 《戦国策/卷21》:秦使王翦攻趙,趙使李牧、司馬尚御之。李牧數破走秦軍,殺秦將桓齮。 ↑ 《戦国策/卷21》:王翦惡之,乃多與趙王寵臣郭開等金,使為反間,曰:「李牧、司馬尚欲與秦反趙,以多取 封於秦。」趙王疑之,使趙葱及顔聚代將,斬李牧,廢司馬尚。 後三月,王翦因急撃,大破趙,殺趙軍,虜趙王遷及其將顔聚,遂滅趙。 参考 “赵世家”. 2021年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月17日閲覧。。 表話編歴秦の統一戦争統一戦争 衍氏の戦い 鄴の戦い 平陽の戦い 肥下の戦い 番吾の戦い 城父の戦い 攻略戦 韓攻略 趙攻略 魏攻略 楚攻略 燕攻略 斉攻略 主要人物 秦 秦王政 李斯 尉繚 内史騰 桓齮 王翦 王賁 李信 蒙恬 蒙武 楊端和 韓 韓王安 趙 幽繆王 李牧 郭開 司馬尚 代王嘉 魏 魏王假 楚 負芻 項燕 昌平君 燕 燕王喜 燕太子丹 荊軻 斉 斉王建 后勝 Related Articles