吉川安一

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死没 2025年7月18日(2025-07-18)(86歳没)
沖縄県名護市
著名な実績 「芭蕉布」作詞
吉川よしかわ 安一やすいち
生誕 1939年????
沖縄県八重山郡竹富町鳩間島
死没 2025年7月18日(2025-07-18)(86歳没)
沖縄県名護市
職業 作詞家詩人教育者
著名な実績 「芭蕉布」作詞
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吉川 安一(よしかわ やすいち、1939年[1] - 2025年7月18日)は、日本作詞家詩人教育者。沖縄を代表する楽曲「芭蕉布」の作詞者として知られ、戦後沖縄における文化表現の形成と教育行政の双方に携わった人物である。名桜大学名誉教授[2][3]

沖縄県八重山郡竹富町鳩間島に生まれる。 戦後沖縄の教育現場で国語教員として勤務し、1965年に沖縄県東村へ赴任した。

この東村赴任時、幼少期に母親が芭蕉布を織っていた記憶と、村の自然や生活の情景を重ね合わせ、詩「芭蕉布」を執筆したとされる[3]

1968年には、作曲家・普久原恒勇の呼びかけにより結成された「沖縄歌謡詞集団」に参加し、戦後沖縄における新しい歌謡表現の創出に関わった[3]

その後、沖縄県立総合教育センター主任研究主事を務めたほか、沖縄県内の中学校および高等学校で校長を歴任するなど、教育行政の分野でも活動した。

1996年4月1日から2000年3月31日まで沖縄県立図書館第9代館長を務め、文化行政にも携わった[4]

退官後は名桜大学教授として教鞭を執り、のちに名桜大学名誉教授となった[2]

芭蕉布

「芭蕉布」は1965年、米国統治下の沖縄で発表された歌曲で、作詞を吉川安一、作曲を普久原恒勇が担当した[5]

同曲は、沖縄の伝統織物である芭蕉布を題材に、女性の労働と島の自然、生活文化を静謐な言葉で描いた作品とされる。琉球放送(RBC)の番組「ホームソング」で放送された後、歌手・我如古より子でいご娘)の歌唱などにより広く知られるようになった[5]

1978年にはNHK名曲アルバム」で取り上げられ、沖縄県外にも広く知られる楽曲となった[5]

2024年には、楽曲誕生の地とされる沖縄県東村に「芭蕉布」の歌碑が建立された[3]

沖縄歌謡詞集団

1968年、作曲家・普久原恒勇の呼びかけにより、詩人・作詞家らが集まり「沖縄歌謡詞集団」が結成された。吉川安一は同集団の一員として参加し、沖縄の自然、生活、歴史を題材とした新しい歌謡表現の創出に関わった[3]

この運動は、従来の民謡とは異なる形で、戦後沖縄の文化的自己認識を言葉と音楽によって表現する試みと位置づけられている[5]

その他の作品

  • 「ふるさとの雨」(作詞)[6]

教育・文化活動

教育者として、国語教育および言語表現の分野で長年にわたり指導に携わった。また、沖縄県立名護商工高等学校校歌「学の源」の作詞者としても知られている[7]

教育史

  • 1960年代前半 - 沖縄県内で国語教員として勤務。
  • 1965年 - 沖縄県東村に国語教員として赴任[3]
  • 1970年代 - 沖縄県立総合教育センター主任研究主事。
  • 1980年代 - 沖縄県内の中学校・高等学校で校長を歴任。
  • 1996年4月1日 - 沖縄県立図書館第9代館長に就任[4]
  • 2000年3月31日 - 沖縄県立図書館館長を退任。
  • 2000年代 - 名桜大学教授。
  • 退官後 - 名桜大学名誉教授。

文化史

死去

脚注

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