大野市太郎
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大野 市太郎(おおの いちたろう、1946年(昭和21年)5月10日 - )は、日本の元裁判官[1]。神奈川県川崎市出身。司法研修所長、福岡高等裁判所長官などを経て、大阪高等裁判所長官で定年退官[2][1]。主に刑事裁判を担当[2]。
| 大野 市太郎 おおの いちたろう | |
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| 生年月日 | (1946-05-10) 1946年5月10日(79歳) |
| 出生地 |
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| 国籍 |
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| 出身校 | 東京大学法学部[4] |
| 任期 | 2010年6月17日 - 2011年5月9日 |
| 前任者 | 大谷剛彦[5] |
| 後任者 | 吉戒修一[6] |
| 任期 | 2010年1月15日 - 2010年6月16日 |
| 前任者 | 安倍嘉人[7] |
| 後任者 | 池田修[5] |
| 任期 | 2007年5月23日 - 2010年1月14日 |
| 前任者 | 相良朋紀[8] |
| 後任者 | 佐々木茂美[9] |
| 任期 | 2005年1月28日 - 2006年9月8日 |
| 前任者 | 中野哲弘[10] |
| 後任者 | 園尾隆司[11] |
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幼少期はパイロットや外交官を夢見ていたが、視力が悪く、語学も不得意であったため、法曹を目指すようになる[12]。その後、「何物にも囚われず、法律と証拠と良心に従って判断することで社会の役に立てる」と感じたため、裁判官としての道を歩むことを決める[12]。
1965年(昭和40年)3月に神奈川県立多摩高等学校、1970年(昭和45年)3月に東京大学法学部卒業[13][4]。同年4月に第24期司法修習生、1972年(昭和47年)4月11日に横浜地方裁判所判事補任官[1][4]。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
- 1972年(昭和47年)4月11日 - 1974年(昭和49年)4月9日:横浜地方裁判所判事補[1]
- 1974年(昭和49年)4月10日 - 1975年(昭和50年)3月31日:横浜家庭裁判所判事補[1]
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 1977年(昭和52年)3月31日:札幌地方・家庭裁判所小樽支部判事補[1]
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 1979年(昭和54年)3月31日:東京地方裁判所判事補[1]
- 1979年(昭和54年)4月1日 - 1982年(昭和57年)4月10日:最高裁判所事務総局刑事局付[1]
- 1982年(昭和57年)4月11日 - 1985年(昭和60年)3月31日:甲府地方・家庭裁判所判事[1]
- 1985年(昭和60年)4月11日 - 1989年(平成元年)4月5日:司法研修所教官[1]
- 1989年(平成元年)4月6日 - 1993年(平成5年)3月31日:東京地方裁判所判事(刑事第17部)[1][14]
- 1993年(平成5年)4月1日 - 1997年(平成9年)3月31日:東京地方裁判所部総括判事(刑事第10部)[1][15]
- 1997年(平成9年)4月1日 - 2000年(平成12年)3月31日:司法研修所教官[1]
- 2000年(平成12年)4月1日 - 2001年(平成13年)9月15日:東京地方裁判所部総括判事(刑事第1部)[1]
- 2001年(平成13年)9月16日 - 2005年(平成17年)1月27日:最高裁判所事務総局刑事局長兼最高裁判所図書館長[1][16]
- 2005年(平成17年)1月28日 - 2006年(平成18年)9月8日:宇都宮地方裁判所長[1][17]。この頃、裁判員制度の施行に向けて宇都宮地方検察庁、栃木県弁護士会を交えた模擬裁判の実施や出前講義など裁判員制度のPR活動に注力した[18][19]。
- 2006年(平成18年)9月9日 - 2007年(平成19年)5月22日:東京高等裁判所部総括判事(第4刑事部)[1]
- 2007年(平成19年)5月23日 - 2010年(平成22年)1月14日:司法研修所長[1]
- 2010年(平成22年)1月15日 - 2010年(平成22年)6月16日:福岡高等裁判所長官[1]
- 2010年(平成22年)6月17日 - 2011年(平成23年)5月9日:大阪高等裁判所長官[1]
- 2011年(平成23年)5月10日:定年退官[1]
- 2016年(平成28年)11月3日:瑞宝重光章受章[20]
担当訴訟
東京地裁判事として
- 1990年(平成2年)9月4日、覚醒剤とコカインを所持していたとして覚醒剤取締法違反と麻薬及び向精神薬取締法違反の罪に問われた松田ケイジに対し、規範意識の欠如などを指摘した上で社会的制裁を受けていることや起訴事実を認め、反省の態度を示していることから懲役1年8月・執行猶予3年(求刑:懲役2年)の有罪判決を言い渡した[21]。
- 1992年(平成4年)3月27日、下着にコカインと大麻約10グラムを隠し持って羽田空港発ホノルル国際空港方面の飛行機に搭乗したとして麻薬及び向精神薬取締法違反と大麻取締法違反の罪に問われた勝新太郎に対して「被告人は反省の態度も示さず実刑に処す考えもあるが、今回に限り自力更生の機会を与える」として懲役2年6月・執行猶予4年(求刑:懲役2年6月)の有罪判決を言い渡した[22]。
東京地裁部総括判事として
- 1993年(平成5年)12月7日、ドバイ日航機ハイジャック事件及びダッカ日航機ハイジャック事件でハイジャック防止法違反と旅券法違反の罪に問われた丸岡修に対して「全く無関係の多数の人々を人質にした犯行で、動機も自己中心的。非人道的で危険かつ悪質極まりない」として検察官の求刑通り無期懲役の判決を言い渡した[23]。
- 1995年(平成7年)12月26日、偽札を利用してコスモ信用組合門前仲町支店から約29億円を引き出した詐欺事件で詐欺、電子計算機使用詐欺罪に問われた被告人に対して「被害の大部分が未回復で、コスモ信用組合の社会的信用に傷を付けた」として懲役8年(求刑:懲役11年)の実刑判決を言い渡した[24][25]。
- 1996年(平成8年)3月25日、1974年(昭和49年)に発生した横浜国大内ゲバ殺人事件で殺人と爆発物取締罰則違反などの罪に問われた中核派活動家2人に対して懲役12年(求刑:懲役15年)と懲役4年6月(求刑:懲役6年)の実刑判決を言い渡した[26]。
- 1997年(平成9年)3月14日、覚醒剤や大麻を密売したとして麻薬特例法違反の罪に問われた暴力団組長に対して「ビジネスとして組織的、継続的に薬物を密売し、害悪を社会に拡散させた大規模で悪質な犯行だ」として検察官の求刑通り無期懲役・罰金500万円及び追徴金3348万円の判決を言い渡した[27]。
- 2002年(平成14年)1月18日、池袋通り魔殺人事件で殺人、殺人未遂、傷害、暴行、銃刀法違反の罪に問われた被告人Zに対し、「目的通りに犯行を遂行したり、犯行前の数日間は一時的に躊躇したりした行動は合理的だ」としてZの完全責任能力を認定した上で「自己中心的かつ冷酷な犯行で刑事責任は誠に重大。死刑をもって臨むことはやむを得ない」として検察官の求刑通り死刑判決を言い渡した[28]。
東京高裁部総括判事として
- 2007年(平成19年)1月11日、2004年(平成16年)11月30日に横浜市戸塚区で発生した死亡事故[注 1]で業務上過失致死罪に問われ、横浜地裁で罰金20万円の有罪判決を受けた横浜市戸塚土木事務所職員に対し、事故は予見可能だったと判断した一審判決を追認した上で「高さ制限棒は通常有すべき安全性を備えていた」として一審判決を破棄、職員に無罪判決を言い渡した[29]。
- 2007年(平成19年)1月16日、防衛施設庁談合事件で懲役1年6月の実刑判決を受けた防衛施設技術協会理事長に対して「官製談合と主体的に関与した。職員の再就職確保の見返りに多額の公金を無駄にした」として一審判決を支持、控訴を棄却した[30]。
脚注
[脚注の使い方]
注釈
出典
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 “裁判官検索:大野市太郎”. 新日本法規WEBサイト. 新日本法規出版株式会社. 2026年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月12日閲覧。
- 1 2 『朝日新聞』2010年7月2日 朝刊 3社会32頁「「裁判員の負担軽減を」 大野・大阪高裁長官会見 【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
- ↑ 『読売新聞』2005年2月20日 栃木 東京朝刊 栃木北36頁「<プロフィル>宇都宮地裁所長に就任した 大野市太郎さん58=栃木」(読売新聞東京本社)
- 1 2 3 『朝日新聞』2010年5月26日 朝刊 政治4頁「最高裁人事」(朝日新聞東京本社)
- 1 2 『朝日新聞』2010年5月25日 夕刊 2総合8頁「福岡高裁長官に池田修氏起用へ」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2011年4月23日 朝刊 3社会37頁「最高裁人事(5月10日付)」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2010年1月15日 夕刊 2総合10頁「東京高裁長官に安倍氏を任命」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2007年5月12日 朝刊 政治4頁「相良氏と篠原氏、高裁長官に任命 仙台と福岡」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『読売新聞』2011年4月22日 全国版 東京夕刊 夕二面2頁「東京高裁長官に富越氏任命決定」(読売新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2005年1月21日 夕刊 2総合2頁「名古屋高裁長官、中込秀樹氏に決定 最高裁人事」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2006年9月9日 朝刊 政治4頁「最高裁人事(9日付)」(朝日新聞東京本社)
- 1 2 『朝日新聞』2005年2月8日 朝刊 栃木1 31頁「宇都宮地裁「適正かつ迅速裁判」大野市太郎所長着任会見 /栃木」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2014年5月30日 朝刊 神奈川全県・2地方28頁「(青春スクロール 母校群像記)多摩高校:4 自由は責任伴う、校風が法曹生む/神奈川県」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』1990年8月27日 夕刊 1社19頁「「キッチン」主役の俳優に懲役2年の求刑 覚せい剤取締法違反」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『読売新聞』1995年12月25日 全国版 東京夕刊 夕社会15頁「法廷発オウム事件 端本被告"遠回り"6年 1度は悩み、逃げたが・・・」(読売新聞東京本社)
- ↑ 『読売新聞』2001年9月16日 全国版 東京朝刊 政治4頁「最高裁人事=9月16日」(読売新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2005年5月13日 朝刊 栃木全県・2地方34頁「裁判員制度「こうなる」 県内法曹3者に聞く /栃木県」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2005年8月26日 朝刊 栃木中央・1地方31頁「(リポート栃木)真剣に議論、重み実感 裁判員制度、大学生が模擬体験 /栃木県」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2005年12月23日 朝刊 栃木中央・1地方31頁「裁判員制度PR、大野所長「出前講義」 宇都宮地裁 /栃木県」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2016年11月3日 朝刊 東特集J 36頁「秋の叙勲 4151人が受賞」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』1990年9月5日 朝刊 1社31頁「映画「キッチン」の主役に有罪 覚せい剤所持で東京地裁」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』1992年3月27日 夕刊 1社23頁「勝被告に有罪判決 麻薬密輸を認める 懲役2年6月、執行猶予4年」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』1993年12月7日 夕刊 2社10頁「丸岡修被告に無期懲役 日本赤軍ハイジャック事件で東京地裁」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『読売新聞』1995年10月18日 全国版 東京朝刊 社会31頁「コスモ信金不正引き出し 電算機詐欺で懲役11年求刑/東京地裁」(読売新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』1995年12月26日 夕刊 2社10頁「被告に懲役8年判決 コスモ信組事件で東京地裁」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』1996年3月25日 夕刊 1社19頁「被告に懲役12年 横浜の内ゲバ殺人で東京地裁」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』1997年3月14日 夕刊 1社19頁「覚せい剤密売で無期判決 元暴力団組長に東京地裁」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2002年1月18日 夕刊 1社会19頁「池袋の連続殺傷事件に死刑 「Z被告に責任能力」 東京地裁判決」(朝日新聞東京本社)
- 1 2 3 『朝日新聞』2007年1月12日 朝刊 2社会34頁「市職員に逆転無罪 高さ制限棒、対策責任問えず、横浜の重機落下死亡事故 東京高裁」(朝日新聞東京本社)
- ↑ 『朝日新聞』2007年1月16日 夕刊 1社会15頁「元技術審議官に、高裁も実刑判決、防衛施設庁談合」(朝日新聞東京本社)
| 司法職 | ||
|---|---|---|
| 先代 相良朋紀 |
2007年 - 2010年 |
次代 佐々木茂美 |
| 先代 中野哲弘 |
2005年 - 2006年 |
次代 園尾隆司 |
| 先代 白木勇 |
2001年 - 2005年 |
次代 大谷直人 |
|