小野幸治

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国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県
生年月日 (1944-08-11) 1944年8月11日(81歳)
小野幸治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県
生年月日 (1944-08-11) 1944年8月11日(81歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 中京栗東小林稔(1965年 - 1974年)
栗東・小林三雄三(1974年 - 1976年)
栗東・小林稔(1976年 - 引退)
初免許年 1965年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 1982年2月28日
重賞勝利 10勝
通算勝利 2342戦317勝
調教師情報
初免許年 1982年(1984年開業)
経歴
所属 栗東T.C.
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小野 幸治(おの ゆきはる、1944年8月11日 - )は、香川県出身の元騎手・元調教師

1960年中京・小林三雄三厩舎に騎手見習として入門し、1965年からは三雄三の長男[1]で同年開業の小林稔厩舎からデビュー。

1年目の1965年は小林の初出走となった3月6日の中京第2競走4歳以上未勝利・シーダ(7頭中4着)で初騎乗を果たし、翌7日の中京第10競走5歳以上50万下・ダイハジメオーで小林と共に初勝利を挙げる[2] [3]28日阪神で初の1日2勝[3]を挙げたが、小林も同日に佐々木昭次を騎乗させたレースで初の1日2勝[2]を記録している。5月23日同29日の阪神では2度目の1日2勝を含む騎乗機会3連勝を挙げたほか、6月6日には鳴尾記念・アスカで重賞初騎乗を果たしバリモスニセイの3着に入った[4]。初年度から2桁の18勝をマークし、1972年まで8年連続2桁勝利を記録[5]

2年目の1966年には1月3日4日京都では初の2日連続勝利[6]、第1回北九州記念をハジメリユウで制し[7]管理する小林と共に重賞初勝利[8] [9]を挙げ、初の30勝台で自己最多の37勝[5]をマーク。

3年目の1967年には京都で行われた桜花賞をキームスクインでシーエースの4着[10]1968年札幌記念では同年のダービータニノハローモア皐月賞マーチスの3着[11]に入った。

1969年にはきさらぎ賞・タニノシュンライでタカツバキの3着[12]に入り、タカノキネンで中日新聞杯京阪杯2着のほか、阪急杯を制した[13]

1970年にはフサイチでアラブ大賞典春秋制覇[14]サンケイ大阪杯ではシュンサクオーでヒデコトブキリキエイカンに勝利[15]

1971年には不良馬場で行われた天皇賞(春)をシュンサクリュウでメジロムサシの3着[16]に入り、キームスビィミーで京都記念(秋)を制覇[17]

1972年にはキームスビィミーで天皇賞(春)ではベルワイドアカネテンリュウの間に割って入る2着[18]、7頭中7番人気と人気を落とした宝塚記念ではベルワイド・メジロアサマの天皇賞馬2頭に先着する4着[19]に入り、ハリウッドターフクラブ賞を制したが[17]、1番人気に支持された天皇賞(秋)でも4着[17]であった。

1974年からは小林の父・三雄三の厩舎に所属し、同年から1977年まで4年連続2桁勝利[5]を記録。

1976年からは再び小林厩舎所属となり、5年ぶりで最後の20勝台となる24勝[5]をマーク。

1977年にはホースメンホープで日本経済新春杯ではホクトボーイ中京記念ではクラウンピラードに勝利して重賞を連勝[20]

1978年には芦毛の関東馬ダークロードで4歳牝馬特別(西)を9番人気2着と好走し、桜花賞では1番人気に支持されたが5着に終わった[21]

1979年に阪神で行われたエリザベス女王杯では関東馬ハーバーアトリでミスカブラヤアグネスレディーに次ぐ3着[22]に入り、1980年1981年には2年連続2桁勝利で共に11勝[5]を記録するが、1981年が最後の2桁[5]となった。

1981年にはロングイーグルで京都新聞杯を20頭中17番人気ながらサンエイソロンの2着と好走し、菊花賞ではミナガワマンナの3着に入った[23]タニノムーティエを母父に持つタニノダーバンではデイリー杯3歳ステークス2着[24]に入り、後にタニノマティーニの3代母となる芦毛の牝馬タニノテスコ[25]では阪神牝馬特別を制して[26]最後の勝利を重賞で飾った[27]

1982年には金杯(西)・ロングイーグルで断然人気に推されるも[28]2着に終わり、2月28日の中京第9競走矢作川特別・ロングカズオ(16頭中2着)を最後に現役を引退[27]

1984年、厩舎を開業する。3月11日、初出走となった小倉競馬場での第9レースは、タケノヨロコビが4着となる。5月19日阪神競馬場での第2レースでハンキトップが勝利し延べ17頭目で初勝利を挙げる。

1985年愛知杯をロングクイックが制しJRA重賞初勝利を挙げる。

1987年、第39回阪神3歳ステークスサッカーボーイが制し、JRAGI初勝利を挙げる。

2015年2月28日付けで定年により調教師を引退した[29]

騎手成績

通算成績1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地 3143012582320.135.265
障害 32215.200.333
3173032602335.136.266
日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1965年3月6日-シーダ--4着
初勝利1965年3月7日-ダイハジメオー--1着
重賞初騎乗1965年6月6日鳴尾記念アスカ7頭23着
重賞初勝利1966年11月20日北九州記念ハジメリユウ12頭21着
GI級初騎乗1968年6月30日優駿牝馬ローズイパス16頭69着

主な騎乗馬

調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1984年3月11日1回小倉2日9R-タケノヨロコビ--4着
初勝利1984年5月19日3回阪神1日2R4歳未勝利ハンキトップ--1着
重賞初出走1984年11月3日5回京都1日11Rデイリー杯3歳Sロングクイック10頭79着
重賞初勝利1985年12月1日3回中京2日11R愛知杯ロングクイック14頭51着
GI初出走1985年5月19日3回東京4日10R優駿牝馬クリスシルバー28頭812着
GI初勝利1987年12月20日5回阪神6日11R阪神3歳Sサッカーボーイ10頭11着

主な管理馬

太字はGIレース

表彰

主な厩舎所属者

関連項目

脚注

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