嵐山光三郎

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嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年昭和17年〉1月10日[1] - 2025年11月14日[2])は、日本編集者作家エッセイスト。本名は祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)[1]

生年月日 (1942-01-10) 1942年1月10日
没年月日 (2025-11-14) 2025年11月14日(83歳没)
本名祐乗坊 英昭[1]
出身地日本の旗 日本 東京都北多摩郡国立町(現・国立市
概要 生年月日, 没年月日 ...
あらしやま こうさぶろう
嵐山 光三郎
生年月日 (1942-01-10) 1942年1月10日
没年月日 (2025-11-14) 2025年11月14日(83歳没)
本名 祐乗坊 英昭[1]
出身地 日本の旗 日本 東京都北多摩郡国立町(現・国立市
出生地 大日本帝国の旗 日本 静岡県浜松市
国籍 日本の旗 日本
学歴 國學院大學文学部国文科
職業 編集者
活動期間 1965年 - 2025年
祐乗坊宣明
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父は、朝日新聞社社員から、多摩美術大学の教授に転じたデザイナーの祐乗坊宣明。弟の祐乗坊進は造園コンサルタント多摩美術大学講師。

来歴

静岡県浜松市に生まれ、1950年から東京都北多摩郡国立町(現:国立市)に育つ。国立学園小学校卒業。小学校時代の同級生に、後の外務省・軍縮大使の登誠一郎、朝日新聞社の宮本貢がいた。

桐朋中学校・高等学校を経て、1965年國學院大學文学部国文科卒業[1]。専攻は中世文学。また、笠井叡は高校の2年後輩で、大学時代に笠井から土方巽を紹介され、金粉ショーのアルバイトをやったこともある。大学時代の教師には丸谷才一安東次男らがいた。ある民放テレビ局の入社試験に合格していたが、辞退している[1]

1965年、平凡社へ入社。当時の平凡社は「国民百科事典」の売り上げが絶好調な時期であり、先代社長の下中弥三郎が他社において「争議活動」等で問題となった編集者を集めていたこともあり、編集部には奇人・変人・怪人が揃っていた。先輩編集者の谷川健一林達夫、難波律郎、西巻興三郎らの知遇を得る。

別冊太陽』と『太陽』のそれぞれ編集長を務める。『太陽』の「年賀状の図案特集」はヒット企画となった。また、編集者として檀一雄澁澤龍彦と親交を深める。深沢七郎には、特に影響を受け、師匠と呼んでいる。

現代詩手帖」の編集長の桑原茂夫を始め、唐十郎山野浩一、前田亜土、鎌田忠良、麿赤児坂崎重盛村松友視篠山紀信南伸坊糸井重里篠原勝之鈴木いづみ山際淳司らの知遇を得た。

広告会社から平凡社に入社してきた安西水丸を知り、1976年に合作絵本「ピッキーとポッキー」を刊行。40年間で70万部近くを売り上げるロングセラーとなる[3]

放漫経営のため平凡社が経営危機となった1981年、馬場一郎編集局長をトップに、筒井泰彦(筒井ガンコ堂)、渡邊直樹ら平凡社時代の部下らを率いて独立し、青人社を設立[1]。翌年には『DoLiVe 月刊ドリブ』を創刊[1]

雑誌「宝島」で連載された“チューサン階級の友”で人気を博し、「…なのでR」などカタカナやアルファベットを多用した、独特の文体でのエッセイを多数の雑誌に発表。椎名誠らとともに「昭和軽薄体」と呼ばれた。

タモリ司会のテレビ番組『今夜は最高!』に、『月刊ドリブ』の宣伝も兼ねて出演。これがきっかけで、1982年からは『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ)に編集長としてレギュラー出演した。

2010年3月、国立市教育委員に任命された。2012年日本文藝家協会理事。

2020年1月から土曜日の日本経済新聞夕刊「あすへの話題」にエッセイを連載した。

2025年11月14日、肺炎のため東京都内の自宅で死去[2][4]。訃報は近親者に拠る葬儀を終えた後の同月28日に公表された。83歳没

人物

趣味は料理で、「素人庖丁記」(渡辺和博イラスト)を『週刊現代』に長年連載。

近代以前の文学者たちを主人公にしたポップな時代小説や、食べ歩き本、温泉などの旅行記などを発表。また、編集者時代を描いた自伝的小説『口笛の歌が聴こえる』『昭和出版残侠伝』も発表した。一方、母校の國學院大學講師も務めた。

近年は、文学者たちの暴食ぶりを評した『文人悪食』『文人暴食』など、近代日本の文学者たちを、新鮮な切り口から捉え直した本も多い。

作家・芸術家の赤瀬川原平、イラストレーターの安西水丸南伸坊渡辺和博、芸術家の篠原勝之などとは編集者時代からの友人でもある。共同で絵本を作ってきた安西が2014年3月19日に死去した際、朝日新聞に追悼文を寄稿した[5]。南による装丁・挿絵も多い。友川カズキは飲み仲間で、秋田弁が聞きたくて歌わせていた。適当な節回しの中で、代表曲の一つ「ワルツ」が生まれた。作家の石田千は元助手である。

20年来の阪神タイガースファンである。

1985年に開始された、KEIRINグランプリ中継に第一回から毎回ゲスト出演していた。

受賞歴

著書

共編著・監修

翻訳

その他

  • 『青春遊泳ノート』双葉社、1973年 000001313624 「さらばコスモス」収録
  • 『「小さい巨像」』朝日新聞社、1974年 000001260001 「水色の恋」収録
  • 『ザ・エンターテインメント 1985-2』角川書店、1985年7月 ISBN 4-04-872417-7 「アンパンの受難」収録
  • 『現代の小説 1991』徳間書店、1991年5月 ISBN 4-19-124550-3 「葬式列車」収録
  • 『日本の名随筆 別巻33 厨房』作品社、1993年11月 ISBN 4-87893-853-6 「本物はもっと柔かい!」収録
  • 『私の父、私の母』中央公論社、1994年10月 ISBN 4-12-002364-8 エッセイ「オヤのハイク」収録
  • 『時代小説最前線 III』新潮社、1994年11月 ISBN 4-10-602823-9 「霧隠才蔵の秘密」収録
  • 『中吊り小説』新潮文庫、1994年12月 ISBN 4-10-135911-3 「電車古典文学大系」収録
  • 『日本の名随筆 別巻54 悪口』作品社、1995年8月 ISBN 4-87893-874-9 「悪口に関する五段階の認識」収録
  • 『日本の名随筆 別巻60 買物』作品社、1996年2月 ISBN 4-87893-880-3 「有効期限のあるいちひめ神社のお守り」収録
  • 『日本の名随筆 別巻62 漫画』作品社、1996年4月 ISBN 4-87893-882-X 「「コロコロコミック」は少年少女の文藝春秋である」収録
  • 『日本の名随筆 別巻70 電話』作品社、1996年12月 ISBN 4-87893-890-0 「電話の深情け」収録
  • 『日本の名随筆 別巻78 毒薬』作品社、1997年8月 ISBN 4-87893-658-4 「有毒ワインがうまい」収録
  • 『日本の名随筆 別巻88 文字』作品社、1998年6月 ISBN 4-87893-668-1 「文字が空を飛んでいく。われらの業界にとってファックスとはなにか。」収録
  • 『輝きの一瞬』講談社文庫、1999年1月 ISBN 4-06-263968-8 「おかね座談会」収録
  • 『銀座24の物語』文藝春秋、2001年8月 ISBN 4-16-320260-9 / 文春文庫、2004年12月 ISBN 4-16-767927-2 「シメちゃんの恋人」収録
  • 『手紙の文章教室』朝日新聞社、2003年1月 ISBN 4-02-257813-0 「「生き物」となる手紙の書き方」収録
  • 『書きたい、書けない、「書く」の壁』ゆまに書房、2005年9月 ISBN 4-8433-1886-8 「小6不用漢字で作文を書くと」収録
  • 『老後の食卓 ずっと健康でいるための食の常識』文春文庫、2014年2月 ISBN 978-4-16-790045-8 エッセイ「釣って開いたアジの干物」収録
  • 『いま、兜太は』岩波書店、2016年12月 ISBN 978-4-00-061170-1 寄稿「ケダモノ感覚の句にしびれる」収録
  • 『カレー記念日』中公文庫、2024年12月 ISBN 978-4-12-207592-4 エッセイ「カレーは家庭のドラマである」収録

出演

テレビ番組

映画

  • 任侠外伝 玄海灘(1976年、監督:唐十郎)[7] - 嵐 役
  • 月の夜・星の朝(1984年、監督:石山昭信)[8] - 坂本 役
  • スクラップストーリー ある愛の物語(1984年、監督:若松孝二[9] - 編集長 役

テレビドラマ

ラジオ番組

CM

原作

映画

TV

  • 現代神秘サスペンス(1989年、フジテレビ)[12] - 「自宅の妾宅」

オリジナルビデオ

  • 逆鱗組 上州路に春を見た(2006年)[13]
  • 逆鱗組 背なで哭いてる唐獅子ボタン(2006年)[14]

脚注

外部リンク

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