工藤幸雄
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大連にて南満州鉄道社員の家庭に生まれる。旧制中学校卒業後、第一高等学校受験に3度失敗し、1944年善隣外事専門学校露西亜科に入学。その後城北補習学校を経て、1946年9月、第一高等学校文科甲類三組に入学し、1952年頃東京大学仏文科卒。
1954年共同通信社外信部に入り13年勤め、その間ロシア、ポーランドの文学を翻訳する。1967年ワルシャワ大学に日本語講師として赴任、7年間滞在し、1975年帰国。翌年多摩美術大学教授となるが、その前には、ブレイクリー・セント・ジェイムズ『女友だち』(フランス書院、1978年)などのポルノ小説を篠 ひろ子の変名で訳し、糊口を凌いだという[1]。また1976年頃には当時四谷にあった日本翻訳専門学院で英日翻訳の授業を受けもっていた[2]。1981-1991年『ポーランド月報』刊行。1995年多摩美術大学を定年退職。
1999年、『ブルーノ・シュルツ全集』の翻訳で読売文学賞受賞。ゴンブロヴィッチ、アイザック・シンガーなどを中心にポーランド文学を数多く翻訳した。ほかにパステルナーク、ミウォシュ、シンボルスカなどノーベル賞作家の翻訳が多い。
2008年、肺がんにより死去。83歳。