明快
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幼くして延暦寺に入り、明豪・皇慶・慶命らに顕教・密教を学ぶ。後に東塔の円融房(梶井殿)に住んだことから、「梨本僧正」と呼ばれた。長暦元年(1037年)、後朱雀天皇の護持僧として権律師に任じられ、長久4年(1043年)に権少僧都に進み、永承4年(1049年)に四天王寺別当、永承5年(1050年)に権大僧都、永承7年(1052年)に法性寺座主となる。天喜元年(1053年)には第32代の天台座主となり、法成寺別当と恵心院検校を兼ねた。天喜2年(1054年)には大僧都に進み、法印とされた。天喜3年(1055年)には僧正に任じられ、康平3年(1060年)に大僧正となった。治暦元年(1065年)に大僧正を辞する。
後朱雀・後冷泉の2代の天皇や上東門院に仕え[4]、藤原頼通の正室である源隆姫の戒師を務める[3]など、皇室や摂関家からの信頼が厚かった。弟子に覚尋・良真・仁覚・仁豪らがいる。