曽代用水
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歴史
江戸時代前半までの下有知村(今の関市)周辺は、水の便が悪く、干ばつがたびたび起こっていた[1]。この地に移住してきた尾張藩の浪人喜田吉右衛門と林幽閑は、地元の豪農柴山伊兵衛と図り、長良川上流から下有知村まで用水を引く計画を立て、1663年(寛文3年)に役人の内諾を得た[1]。鏨と金槌を使う手作業の難工事が続き、多額の工事費がかかった。喜田と林は所持金が底をついてしまったため離脱したが、柴山は計画を推し進めた[1]。1675年(延宝3年)まで10年近くの歳月を要して完成した。
喜田、林、柴山の3人の偉業をたたえて、関市下有知の地には井神社が建てられ、3人が祀られている[1][3]。毎年8月1日に例大祭が行われる。
2015年(平成27年)、その歴史的背景が評価され国際かんがい排水委員会による世界かんがい施設遺産として岐阜県で初めて登録、国際連合食糧農業機関による農業遺産「清流長良川の鮎」の構成資産に登録された。

