東堀切
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| 東堀切 | |
|---|---|
| 町丁 | |
|
普賢寺(東堀切三丁目) | |
北緯35度45分14秒 東経139度50分19秒 / 北緯35.753803度 東経139.838647度 | |
| 座標位置:葛飾区立上千葉小学校付近 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 特別区 |
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| 地域 | 南綾瀬・お花茶屋・堀切地域 |
| 人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]) | |
| 人口 | 8,374 人 |
| 世帯数 | 4,127 世帯 |
| 面積([2]) | |
| 0.456773906 km² | |
| 人口密度 | 18332.92 人/km² |
| 郵便番号 | 124-0004[3] |
| 市外局番 | 03(東京MA)[4] |
| ナンバープレート | 葛飾 |

東堀切(ひがしほりきり)は、東京都葛飾区の町名。現行行政地名は東堀切一丁目から三丁目。住居表示実施済み区域である。亀有警察署の管轄区域。
歴史
「上・下千葉村」「砂原村」(後に「南綾瀬村」「亀青村」として合併)と呼ばれた大半が田畑の農村地帯であったが、戦後の高度成長期である昭和30年代頃から田畑跡地に個人宅・都営住宅などの団地・集合住宅等が多数建設され、流入人口が激増。 それに伴い、自宅を兼ねた個人商店も多く開店し、商店街を形成。また医療施設や、学校などの公共施設も多数建設され始める。
- 1932年「上・下千葉・砂原町」として成立。後に「南綾瀬町/上・下千葉・亀青村砂原」へ。
- 1953年(昭和28年)4月1日 葛飾区立上千葉小学校 開校
- 1961年(昭和36年)7月1日 葛飾区立双葉保育園 開設
- 1962年(昭和37年)度 第2上千葉アパート(蛍ヶ丘団地)完成
- 1963年(昭和38年)7月1日 上千葉公園少年野球場 開設
- 1964年(昭和39年)8月1日 町廃止と共に、現在の「東堀切1~2丁目」の表記へと変わる。
- 1965年(昭和40年)12月1日「東堀切3丁目」の表記が追加変更される。
- 1967年(昭和42年)9月1日 東堀切三郵便局 開局
- 1971年(昭和46年)2月16日 東堀切二郵便局 開局
- 1978年(昭和53年)9月1日 葛飾区立東堀切児童館 開設
農業
隣接する西亀有などと共に、かつては稲作や野菜の生産を行なう農村地帯であり、現在の東堀切南部にあたる旧・下千葉町の代表的な農作物は、小カブとツマモノ野菜(料亭料理などの膳の飾りとして添えられる野菜)であった。中でも小カブの名産地で、都心の市場に出荷された。[5]
上記の通り、戦後の高度成長期の人口流入に伴い、農地が住宅・商・工業用地に転用されたり、またそれまで農業を営んでいた者が、その所有地の大きさを活かし貸家・月極駐車場などの不動産賃貸業や、店舗他を営む商業などへ起業し始め、比較的駅に近く利便性の良い東堀切南部の方から、農地は次第に姿を消し、最後まで残された北部=2~3丁目の大規模な畑も、世帯主死亡などの世代交代の土地相続による高額な相続税納税の為、土地売却・貸地化され、現在は大幅に規模を縮小した家庭菜園規模の僅かな面積の畑が、北部に数か所残されているのみとなっている。
排水路


かつて、下水道整備の遅れていたこの周辺地域では、流入する大量の人口に追いつかず、ドブ川と呼ばれる元々は農業用だった排水路が多数存在し、そこへ生活排水を直接流していた。 降雨の際、猛烈な悪臭を放ったり、大雨では氾濫も起き、このため汲み取り式トイレの家庭がほとんどであったが、1970年代後半頃から急速に下水道の整備が進み、トイレの水洗化の普及や、ドブ川にはコンクリート製の蓋がされたり、アスファルト舗装による歩道化・緑地化が進み、かつて排水路に多くかかっていた橋は全て消滅し、現在は橋跡に石碑が残るだけとなっている。
地名の由来
堀切の東である事に由来。詳しくは堀切の地名の由来を参照。
世帯数と人口
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 東堀切一丁目 | 1,326世帯 | 2,443人 |
| 東堀切二丁目 | 1,771世帯 | 3,748人 |
| 東堀切三丁目 | 1,030世帯 | 2,183人 |
| 計 | 4,127世帯 | 8,374人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[6] | 8,200 |
| 2000年(平成12年)[7] | 8,152 |
| 2005年(平成17年)[8] | 7,939 |
| 2010年(平成22年)[9] | 7,658 |
| 2015年(平成27年)[10] | 7,696 |
| 2020年(令和2年)[11] | 8,080 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[6] | 3,118 |
| 2000年(平成12年)[7] | 3,272 |
| 2005年(平成17年)[8] | 3,239 |
| 2010年(平成22年)[9] | 3,264 |
| 2015年(平成27年)[10] | 3,305 |
| 2020年(令和2年)[11] | 3,712 |
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年4月時点)[12][13]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 東堀切一丁目 | 1~18番 | 葛飾区立南綾瀬小学校 | 葛飾区立双葉中学校 |
| 19〜24番 | 葛飾区立上千葉小学校 | ||
| 東堀切二丁目 | 21~28番 | ||
| 1〜20番 | 葛飾区立東綾瀬小学校 | 葛飾区立青葉中学校 | |
| 東堀切三丁目 | 全域 | 葛飾区立上千葉小学校 |
事業所
交通
施設



- 葛飾区立上千葉小学校
- 上千葉公園(3丁目)…西亀有にある上千葉砂原公園とは異なる
- 葛飾区立双葉保育園(1丁目15-16)
- 葛飾区立東堀切保育園(2丁目20-8)
- 葛飾区立東堀切児童館(2丁目20-8)
- 本田消防署 南綾瀬出張所(2丁目28-25)
- 普賢寺(3丁目) - 真言宗豊山派の仏教寺院。山号は日照山。
郵便局

- 東堀切二局(2丁目21-24)
- 東堀切三局(3丁目29-12)
福祉施設

- 社会福祉法人原町成年寮 葛飾通勤寮、Craft(Viser Polaire) (1丁目)
- 社会福祉法人武蔵野会 東堀切くすのき園(1丁目)
文化財
銭湯
人口流入が激増した昭和30年代、まだこの地域では宅内に風呂が無かった家庭も多く、各丁目ごとに銭湯が開業。各家庭に風呂の普及した現在も、自主廃業した「第二美吉湯」と2005年の火災により焼失した「双葉湯」以外は営業しており、下町の風景として存在する。
双葉湯(1丁目8)…後に火災により焼失。廃業。第二美吉湯(2丁目10)…廃業- 美吉湯(2丁目22)
- さつき湯(3丁目27)
都営住宅
昭和20年代、戦災による住宅の喪失と人口増加による住宅不足を解消するため、東京都は農地が広がっていた葛飾区に都営住宅の建設用地を求め、建設用地として農地などを提供するよう広く区民に呼び掛けを行ない[16]、東堀切にも多くの都営住宅が建設された。なお現存する建物は、全て1980年代以降に建て替えられた二代目の建物である。
- 東堀切一丁目アパート
- 1丁目14。1989年度 建設。戸数60戸
- 旧「都営第二下千葉アパート」(計11棟)
- 東堀切一丁目第2アパート
- 1丁目10~11。1994年度 建設。戸数32戸
- 旧「東堀切一丁目都営アパート」
- 東堀切二丁目アパート
- 2丁目15。1984年度 建設。戸数45戸
- 旧「都営第二上千葉住宅・文化住宅」(計8棟 全64戸)
- 1、3、4、6号棟→6戸/階×2階=計12戸
- 2、5、7、8号棟→2戸/階×2階=計4戸
- 東堀切二丁目第2アパート シルバーピア
- 2丁目28。1987-1988年度 建設。戸数109戸
- 旧「下千葉都営住宅・睦団地」(全66戸)
- 東堀切二丁目第3アパート
- 2丁目17。2008年度 建設。戸数161戸
- 旧「さつき団地」(計4棟 総戸数136戸)
- 1号棟→10戸/階×4階=計40戸。
- 2~4号棟→8戸/階×4階=計32戸。
- 東堀切二丁目第4アパート
- 東堀切三丁目アパート
- 3丁目24と30。1984年度 建設。戸数144戸
- 旧「都営第八上千葉住宅」[17]

