東堀通
新潟市中央区の町
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要

1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い片原通・古洲崎町の一部から改称[5]。当地域の人口は938人(2011年3月1日現在[6])。東堀の名は、かつてこの通りにあった東堀(片原堀)に由来する[5]。
地理
信濃川河口付近左岸、古町通の東側を並行するように南北へ走る片側2車線の道路である。通りは上手の白山神社側を起点に1番町から13番町まである。沿道の町名は西側が東堀通、東側が東堀前通となる。これはかつて堀の両端の道がこう呼ばれていた名残である。通りに直交する道路は小路(こうじ)と呼ばれる。交差する小路については、外部リンクの「小路めぐりマップ」、もしくは古町 (新潟市)#交差する小路の項を参照。
古くから通りの西の古町通、東の本町通とともに栄えた新潟の中心地域にあり、第四北越銀行本店、新潟中郵便局などが立地する。沿道に立つ主な施設については、地域もしくは古町 (新潟市)#主な施設を参照。
歴史
名の由来にもなった片原堀(片原川とも)は、承応3年(1654年)に新潟町がこの地に移転した際、西の寺町堀(現在の西堀通)とともに整備された[7]。この堀は信濃川に沿うようにやや曲がりながら進むため、自然の川を活かして整備されたという説もある[8]。堀からは信濃川へ注ぐ水路が5本(白山堀、新津屋小路堀、新堀、広小路堀、御菜堀)掘られていた[9]。
堀の西側は早くから店を構える者が多く、中間点(現在の東堀交差点付近)には町会所が置かれた[10]。通りに直交する道路は小路(こうじ)と呼ばれ、表間口が並ぶことはなかった。例外的に上手にある片原通と古町通を結ぶ小路には小揚(堀の船乗り)の小間口が並び、小揚小路と呼ばれていた[11]。明治5年(1872年)10月に片原堀は東堀と改められ、埋め立てられた後に東堀通と名付けられた。東堀通は1966年8月1日より4車線の一方通行道路[12](五菜堀通りから一番堀通りまでの南向き、西堀通と逆向き)であったが[13]、2008年7月24日に片側2車線の対面通行となった[14]。
