元和8年(1622年)、第2代藩主・松前公広の次男として蝦夷福山館にて誕生[1]。
寛永3年(1626年)に兄・兼広が早世したために世継となる。
寛永15年(1638年)に徳川家光に御目見した。
寛永18年(1641年)、父・公広の死去により跡を継いだ[1]。
寛永20年(1643年)にアイヌのヘナウケ(シマコマキの首長、シマコマキは現島牧郡島牧村)を先頭にしてアイヌ民族が大規模な蜂起をしたが、一族の蠣崎利広らに鎮圧させている[1]。
慶安元年(1648年)8月25日、27歳で江戸藩邸において死去[1]。跡を長男・高広が継いだ。