桜井広大

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-07-01) 1983年7月1日(42歳)
身長
体重
181 cm
95 kg
桜井 広大
兵庫ブレイバーズ 打撃コーチ #88
試合後の06BULLS・桜井
(2022年6月25日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県野洲郡野洲町(現:野洲市
生年月日 (1983-07-01) 1983年7月1日(42歳)
身長
体重
181 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2001年 ドラフト4巡目
初出場 NPB / 2007年5月18日
最終出場 NPB / 2010年10月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

桜井 広大(さくらい こうだい、1983年7月1日 - )は、滋賀県野洲郡野洲町(現:野洲市[1]出身の元プロ野球選手外野手、右投右打)、コーチ監督

プロ入り前

滋賀県野洲郡野洲町(現在の野洲市)で生まれる。小学校3年時に野球経験のある父の影響で野球を始め[1]、三上スポーツ少年団で滋賀県大会優勝。小学6年生の時点で身長170cmに成長していた。野洲町立野洲中学校時代は滋賀野洲ボーイズに所属し、関西選抜として世界大会3位[1]。3年時に陸上競技の3種競技A(走高跳砲丸投100 m)で県大会優勝。

1999年PL学園高校へ入学。1年秋からベンチ入りすると、2年時には第82回全国高等学校野球選手権大会に出場[1]。高校通算26本塁打[2]2001年のドラフト会議において、阪神タイガースから4巡目で指名され入団。PL学園高校から直接阪神に入団した初めての選手となった。

阪神時代

阪神時代(2009年)

新人時代から二軍の中軸を任されるなど打撃面での期待を寄せられたが、守備難に加えて一軍外野陣が鉄壁だったため入団から5年間は一軍昇格がなかった。

2007年に二軍で打率.333と好調を維持していたところ、濱中治今岡誠アンディ・シーツが揃って不振に陥ったため、初の一軍昇格を果たす。5月18日の横浜ベイスターズ戦で一軍初出場し、翌日には初スタメン出場を果たすと同時にプロ初安打を放った。その後も好調を維持していたが、10月14日のクライマックスシリーズ第1ステージの中日ドラゴンズ戦で、走塁中に一塁手タイロン・ウッズと激突して負傷。オフはリハビリに費やした。

2008年の年俸は当年の560万円から2500万円に上がり、346%増の昇給率は当時の球団歴代最高であった(2016年2017年原口文仁が358%で更新。金額・昇給率は推定。)[3]

2008年はわずか25試合の出場に終わったが、翌2009年に自身初のシーズン二桁本塁打をマークし自己最高の成績を残す。規定打席には届かなかったが、103試合に出場して打率.302、12本塁打、42打点を記録。打撃でチームに貢献した。

2010年はシーズン当初からレギュラーを任され、開幕戦でスティーブン・ランドルフから同年のチーム初本塁打を放つも、7月11日に右肘痛が原因で降格する。再昇格直後の8月12日広島東洋カープ戦で、城島健司狩野恵輔と共に3者連続本塁打を放った。しかし二軍降格の原因となった右肘痛は完治しておらず、オフに右肘の手術に踏み切った。

2011年も右肘の痛みが完治せず、一軍出場がないまま10月9日に戦力外通告を受けた[4][5]

独立リーグ時代

2012年2月16日に独立リーグ四国アイランドリーグplus香川オリーブガイナーズ入団が発表され[6]、背番号は0に決まった。

2012年は主に指名打者として78試合に出場、リーグ2位の打率.320、6本塁打、44打点の成績でベストナイン(指名打者部門)に選ばれた[7]。11月9日にはNPB復帰を目指し日本製紙クリネックススタジアム宮城で行われた12球団合同トライアウトに参加。その結果東北楽天ゴールデンイーグルスから入団テストを打診され受験したが、不合格に終わった[8]

2013年も引き続き香川で主軸を打ち、10本塁打、59打点をマークして本塁打と打点の二冠王となった[9]。シーズン終了後の11月18日、現役を引退することを表明した[10]

現役引退後

引退後は兵庫県明石市内のバッティングセンターで野球を教えていたが、2015年4月30日に香川オリーブガイナーズの「アンバサダー兼臨時コーチ」に就任[11]。2015年度学生野球資格回復制度により学生野球資格を回復し、2015年秋から滋賀県立高島高等学校野球部の臨時コーチとして月に1、2回程度指導を行った[12]

2016年11月15日、郷里の滋賀県に発足するベースボール・チャレンジ・リーグの新球団滋賀ユナイテッドベースボールクラブの打撃コーチに就任することが発表された[13]2017年限りで退任[14]

2019年8月1日に、関西独立リーグ06BULLSの打撃コーチに就任することが発表され[15]、8月10日に正式に登録された[16]

2020年11月6日、監督への就任が発表された[17]。2シーズン務め、2022年10月4日に退任が発表された[18]

2023年1月26日、06と同じ関西独立リーグに所属する兵庫ブレイバーズの打撃コーチに就任することが発表された[19][20][21]

人物

下戸であり、煙草も吸わない。

筋肉質の体格で、高校3年の時にはベンチプレス120kg、背筋力280kg、握力70kgを記録している。阪神入団時の計測では胸囲110cm、太もも周り64cm、遠投110メートル、100メートル走11.06秒であった。

阪神時代は金本知憲左翼手を、赤星憲広マット・マートン中堅手を不動のレギュラーとして務めていたため、主に右翼手のレギュラーを争った。長打力が持ち味であり、大砲としての将来を嘱望されたが、外野守備のまずさに加え故障の多さが安定した出場機会を得られない一因であった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 阪神 91291260317318291224311222205712.281.346.469.815
2008 25444025000510000400131.125.205.125.330
2009 1033202813385144121434224223213534.302.377.509.886
2010 892722432262719983010022304505.255.327.403.730
通算:4年 308927824882253973036811645468111218712.273.345.447.792

年度別守備成績



外野












2007 阪神 731013001.000
2008 98010.889
2009 92118220.984
2010 74144250.967
通算 248371780.979

独立リーグでの打撃成績

以下の数値は四国アイランドリーグplusウェブサイト掲載の各シーズン選手成績による[22]









































2012 香川 .32078317256358215064442531073.449.429
2013 .250783322723168110105949516034.401.377
通算:2年 .28415664952866150260161039110470107.424.402
  • 各年度の太字はリーグ最高。

表彰

NPB

記録

NPB

背番号

  • 51 (2002年 - 2011年、2017年、2019年 - 2022年)
  • 0 (2012年 - 2013年)
  • 88(2023年 - )

関連情報

関連書籍

  • 『プロ野球 戦力外通告を受けた男たちの涙』(美山和也・加藤慶・田口元義共著、宝島SUGOI文庫、2012年5月、ISBN 9784796697262

脚注

関連項目

外部リンク

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