武藤善則
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父に勧められた競馬学校をダメ元で受験して合格し[1]、騎手課程第1期生として柴田善臣・石橋守・須貝尚介・田島裕和・林満明・玉井智光・岩戸孝樹・上籠勝仁・谷口一明と同期となる。入学後は未経験者でついていくだけで大変であり、3年後の騎手試験も一度不合格となり、留年を経験[1]。1年後の試験も障害で落ちて本来なら不合格であったが、試験官がもう一度チャンスをくれたことで何とか合格[1]。
1986年に美浦・黒坂洋基厩舎からデビューし、2期生の清山宏明・熊沢重文・松永幹夫・横山典弘とデビュー同期になる。
1年目の1986年には3月2日の中山第3競走4歳新馬・ハイエースシロー(13頭中7着)で初騎乗を果たし、同馬に騎乗した同15日の中山第4競走4歳新馬で初勝利を挙げる[2]。オークスデーの5月18日には東京最終第11競走4歳以上400万下をユーワディザイアーで勝利[3]したほか、8月10日の新潟では初の1日2勝[4]を挙げるなど初年度から2桁の10勝[5]をマークし、関東の新人賞に当たる民放競馬記者クラブ賞を受賞[6] [7]。
2年目の1987年には1月17日・18日の中山で初の2日連続勝利[4]、8月23日の新潟で特別戦2連勝を含む初の1日3勝[8]を挙げ、リンドユウホウに騎乗したカブトヤマ記念で重賞初騎乗(11頭中9着)[9]を果たすなど、自己最多で自身唯一の30勝台となる37勝[5]をマーク。
3年目の1988年7月10日の福島第6競走4歳400万下ではポタリングに騎乗し、4コーナーで先頭に立って人気に応えるが[10]、所有する高橋文男オーナーとは親交を深め、後に調教師としてモリアーナなどの所有馬を管理する[11]。重賞でもニシノミラーでエプソムカップ3着[12]、ツクバセイフウで根岸ステークス2着[13]に入り、同年は22勝を挙げるが、結局この年を最後に20勝を超えなくなった[5]。
1989年には、結果的に関東で昭和最後の重賞となった1月5日の金杯(東)をニシノミラーで勝利し、自身唯一の重賞勝利となる[14]。初騎乗、初勝利、唯一の重賞勝利が西山正行の所有馬となり[15]、ニシノミラーでは中山記念でコーセイ、日経賞でランニングフリーの共に3着であった[12]。エイシンハンターに騎乗した皐月賞でGI初騎乗(20頭中12着)[16]を果たし、ツクバセイフウで根岸ステークス2年連続2着[13]に入った。
1990年には、同年まで5年連続2桁勝利[5]を記録。シンザン産駒のミナガワイチザンに騎乗した目黒記念では13頭中13番人気ながら2着入線を果たした[17]。
1991年10月12日、ライフセーバーに騎乗した東京第8競走4歳以上500万下で通算100勝[18]を達成するが、1991年から1993年は3年連続1桁台[5]に終わる。
1994年7月24日の新潟第4競走4歳未勝利では父アンバーシャダイ・母父カーネルシンボリのキッポーウインで15頭中15番人気ながら勝利して[19]単勝18680円、2着に14番人気のダイヤモンドナイルが入って馬連27万1230円の大波乱となる[20]。的中は1416票で、馬連史上最高であると同時に1959年に出た連単26万7350円を超えて、連勝の最高記録となった[21]。同年に4年ぶりの2桁となる16勝をマークするが、結局この年が最後の2桁勝利となった[5]。
1995年には8月12日の新潟第1競走4歳未勝利をツクバセイフウの初仔ツクバシンプウ[22]で12頭中11番人気ながら勝利し、枠連2万、馬連3万馬券の波乱を起こす[23]。父モンテプリンス・母父コトノアサブキのアンジェロパテオではセントライト記念で12頭中11番人気ながら3着[24]に入り、菊花賞に挑戦するが[24]、6年ぶり2度目で最後のGI騎乗[16]となった。
1996年11月3日の東京第3競走3歳新馬・ティエムユアラナスでミナガワマンナ産駒に[25]、1998年4月11日の中山第6競走4歳未勝利・ミラクルミヨチャンで平尾昌晃の所有馬[26]に最後の勝利をもたらし、1998年10月18日の福島第11競走福島中央テレビ杯を父アスワン・母母タケフブキのタープエリザベスで逃げ切って[27]最後のメイン勝ち[28]を挙げた。
1999年にはホリスキー産駒コウヨウヒロイン[29]で3月7日の中京第9競走ふきのとう特別を6馬身差勝利して枠連・馬連万馬券[30]の波乱を起こし、最後の特別勝ち[28]を挙げたほか、4歳牝馬特別(東)ではスティンガー・フサイチエアデール・クロックワークに次ぐ4着[31]に入った。
西山牧場からは水野貴広と共に主戦騎手として起用されたが[15]、怪我の多さから乗り数が減ってしまい[1]、リュウシュンに騎乗した2000年7月2日東京第4競走4歳未勝利が最後の勝利[28]となり、2001年の中山記念・ユーワミラージュ(13頭中12着)を最後に現役を引退[32]。
2003年に厩舎を開業。初出走は同年3月2日の中山競馬第7競走でフジノラブリーで13着、同年4月19日福島競馬第11競走のオトコノユウジョウで初勝利。のべ20頭目であった。
2008年12月20日、3回中京競馬3日目第11競走の愛知杯でセラフィックロンプが管理馬として重賞初制覇。騎手を務めた宮崎北斗も重賞初騎乗で初優勝と初物尽くしの勝利であった。
家族
騎手成績
| 通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 平地 | 154 | 195 | 207 | 2860 | .054 | .122 |
| 障害 | 0 | 0 | 2 | 5 | .000 | .000 |
| 計 | 154 | 195 | 209 | 2865 | .054 | .122 |
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初騎乗 | 1986年3月2日 | 2回中山4日3R | 4歳新馬 | ハイエースシロー | 13頭 | 9 | 7着 |
| 初勝利 | 1986年3月15日 | 2回中山7日4R | 4歳新馬 | ハイエースシロー | 13頭 | 8 | 1着 |
| 重賞初騎乗 | 1987年10月25日 | 2回福島8日11R | カブトヤマ記念 | リンドユウホウ | 11頭 | 11 | 9着 |
| 重賞初勝利 | 1989年1月5日 | 1回中山1日11R | 金杯 | ニシノミラー | 15頭 | 6 | 1着 |
| GI初騎乗 | 1989年4月16日 | 3回中山8日10R | 皐月賞 | エイシンハンター | 20頭 | 15 | 12着 |