毛利菊枝

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本名 森 キク(もり きく)
旧姓:小林
生年月日 (1903-11-03) 1903年11月3日
没年月日 (2001-08-20) 2001年8月20日(97歳没)
出生地 日本の旗 日本群馬県利根郡沼田町(現・沼田市
もうり きくえ
毛利 菊枝
毛利 菊枝
『地獄門』での毛利
本名 森 キク(もり きく)
旧姓:小林
生年月日 (1903-11-03) 1903年11月3日
没年月日 (2001-08-20) 2001年8月20日(97歳没)
出生地 日本の旗 日本群馬県利根郡沼田町(現・沼田市
死没地 日本の旗 日本静岡県静岡市
職業 女優
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1929年 - 2001年
配偶者 森暢
主な作品
テレビドラマ
信子とおばあちゃん
よーいドン
映画
雨月物語
地獄門
ぼんち
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毛利 菊枝(もうり きくえ、1903年明治36年〉11月3日[1][2] - 2001年平成13年〉8月20日[1][2])は、日本女優。本名は森 キク(旧姓:小林[3][1]。夫は美術史家の森暢[3]

杉村春子山本安英らと同世代の新劇女優であり、岸田國士に師事。幾つかの劇団を経て、京都市劇団くるみ座を創設し、長く代表をつとめた。戦後は映画やテレビドラマにも多く出演し、老け役で活躍した。

1903年(明治36年)、群馬県利根郡沼田町(現沼田市)に生まれる[3][1]。群馬県立高崎高等女学校(現群馬県立高崎女子高等学校)中退[3][1]

1925年(大正14年)、岸田國士主宰の新劇研究所に第1期生として入る[3][2]1929年(昭和4年)、喜劇座『御意に任せて』で初舞台を踏む[3][1][2]1932年(昭和7年)に友田恭助田村秋子夫妻の築地座に参加するが[3]1934年(昭和9年)に木崎豊清川玉枝龍岡晋らと脱退して京都で創作座を旗揚げした[4]1937年(昭和12年)に同座を退団[3]1940年(昭和15年)に宇野重吉中江良介信欣三北林谷栄らと瑞穂劇団に参加した[5][6]

1946年(昭和21年)、京都で毛利菊枝演劇研究所を発足させ、1948年(昭和23年)に劇団くるみ座と改称した[3][1][2]。門下生には俳優の栗塚旭北村英三多賀勝一沼田曜一、劇作家の山崎正和らがおり、京都の新劇の劇団の中では最古で、劇団民芸文学座俳優座と並ぶ古い歴史を持つ劇団となった。舞台の代表作に『肝っ玉おっ母とその子どもたち』(くるみ座)があり、この演技で毎日演劇賞を受賞している。

映画では、1937年の『からゆきさん』(木村荘十二監督)が初出演作となり[3]、およそ100本の作品に出演。

テレビドラマでは『信子とおばあちゃん』に主人公・信子の祖母(佳年おばあちゃん)役などで出演。

老け役の名手として活躍した。

2001年(平成13年)8月20日肺炎のため静岡市内の病院で死去。享年97。

受賞・栄典

出演作品

脚注

外部リンク

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