天保3年(1832年)12月5日、一門吉敷毛利熈頼の子として生まれる。元服の際には、藩主・毛利慶親(のちの敬親)より偏諱の授与を受けて親詮と名乗る。文久2年(1862年)、兵庫警衛総奉行を務める。元治の内乱による藩内の内戦では、大谷口総奉行として萩の防衛を務めた。慶應元年(1865年)、登城して藩主・毛利敬親に藩内の抗争の停止を建言する。改革派による新政権が成立すると城代となる。慶応2年(1866年)、長州藩が幕府による第二次長州征討を受けた際に、周防平生の防衛にあたる。明治26年(1893年)4月18日死去。享年62。五男の乙彦は宍戸家を相続し、明治33年(1900年)に男爵に叙された。