阿川毛利家
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吉川元春の二男である毛利元氏が始祖。1625年(寛永2年)から明治まで禄高7391石余、家臣185人を抱えていたとされる[1]。
現在のJR西日本阿川駅(下関市豊北町大字阿川)の近くに、阿川毛利氏館跡[2] や7代毛利広漢の建てた郷校「時習館」跡があり、また武家屋敷跡とされる土壁が周辺には点在している[1]。
歴代当主の墓所は、初代元氏の墓が岩国市周東町高森の通化寺、2代元景から5代就芝までは長門市深川湯本大寧寺、6代広規以降は阿川毛利氏館跡の近くにある史跡 阿川毛利氏墓所である[3][1]。なお、14代親彦については、死後、阿川毛利下屋敷があった萩市椿東に葬られていたが、2023年(令和5年)に下関市豊北町阿川の阿川毛利家の歴代当主の墓所の一角に新たに墓所が設けられ移されている[4]。
歴代当主
脚注
- 1 2 3 4 阿川毛利氏墓所にある説明板 - 平成24年2月 豊北町観光協会
- ↑ 平成20年度実施 阿川毛利家居館跡の試掘調査報 - 下関市文化財だより
- ↑ 阿川毛利氏墓所 - おいでませ山口へ(山口県観光連盟)
- ↑ “萩からふるさと下関・豊北へ 毛利親彦の墓を移転”. 山口新聞 (2023年5月27日). 2023年5月27日閲覧。
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