萩原汎愛
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土佐国土佐郡本町(現:高知市)で土佐藩士の息子として生まれる[1][3]。明治元年(1868年)、藩の別撰隊第二小隊付となり京都に赴任。戊辰戦争に従軍し大阪、中国路、北越などを転戦した[1][4]。
明治4年(1871年)高知県准権少属に任官し、膏取り一揆の鎮静化に努める[5]。以後、内国勧業博覧会事務[5]、福岡県二等警部、同県少書記官、同県一等属[5]、鳥取県少書記官、同大書記官などを歴任[1][4]。
1892年8月、宮崎県知事に就任[6]。1894年1月20日、知事を非職となり[7]、同年2月21日に依願免本官[8]。1898年1月、埼玉県知事に登用され[9]、小学校の改善、農会の充実、治水事業の推進などに取り組んだ[1]。1899年2月21日、知事を非職となり[10]、同年3月15日に依願免本官となり退官した[11]。その後、旧藩主山内侯爵家の家扶を務めた[2]。従四位・勲五等[5]。
