萩原汎愛

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萩原汎愛

萩原 汎愛(はぎわら ひろえ[1] / ひろちか[2]1848年3月5日(弘化5年2月1日[1] - 没年不明)は、幕末土佐藩士明治期の内務官僚。官選県知事。幼名・菅太郎[3]

土佐国土佐郡本町(現:高知市)で土佐藩士の息子として生まれる[1][3]。明治元年(1868年)、藩の別撰隊第二小隊付となり京都に赴任。戊辰戦争に従軍し大阪、中国路、北越などを転戦した[1][4]

明治4年(1871年高知県准権少属に任官し、膏取り一揆の鎮静化に努める[5]。以後、内国勧業博覧会事務[5]福岡県二等警部、同県少書記官、同県一等属[5]鳥取県少書記官、同大書記官などを歴任[1][4]

1892年8月、宮崎県知事に就任[6]1894年1月20日、知事を非職となり[7]、同年2月21日に依願免本官[8]1898年1月、埼玉県知事に登用され[9]、小学校の改善、農会の充実、治水事業の推進などに取り組んだ[1]。1899年2月21日、知事を非職となり[10]、同年3月15日に依願免本官となり退官した[11]。その後、旧藩主山内侯爵家の家扶を務めた[2]。従四位・勲五等[5]

死後、三女を通じて蔵書が北海道大学に寄贈された[12]

栄典

脚注

参考文献

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