佐藤守良
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| 佐藤 守良 さとう もりよし | |
|---|---|
| 生年月日 | 1922年3月28日 |
| 出生地 |
|
| 没年月日 | 1996年3月7日(73歳没) |
| 出身校 |
尾道商業学校(現・尾道商業高等学校) 中央大学法学部 |
| 前職 | 永野護秘書 |
| 所属政党 |
(自由民主党→) (新生党→) 新進党 |
| 称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 |
| 親族 | 次男・佐藤公治(元衆議院議員) |
| 内閣 | 羽田内閣 |
| 在任期間 | 1994年4月28日 - 1994年6月30日 |
| 内閣 | 第2次海部内閣 |
| 在任期間 | 1990年2月28日 - 1990年12月29日 |
| 内閣 | 第2次中曽根内閣第1次改造内閣 |
| 在任期間 | 1984年11月1日 - 1985年12月28日 |
| 選挙区 | 旧広島3区 |
| 当選回数 | 9回 |
| 在任期間 | 1969年12月27日 - 1996年3月7日 |
佐藤 守良(さとう もりよし、1922年3月28日 ‐ 1996年3月7日)は、日本の政治家。衆議院議員・参議院議員を歴任した佐藤公治の父親[1]。
衆議院議員(9期)、農林水産大臣(第8代)[2]、国土庁長官(第20代)[3]、北海道開発庁長官(第60代)[4]、沖縄開発庁長官(第29代)[4]を歴任。
広島県御調郡向島町(現尾道市)出身。尾道商業学校、1947年中央大学法学部英法科卒業[5]。
運輸大臣を務めた永野護の秘書を長く務め[6]、1960年の第29回衆議院議員総選挙に無所属で立候補するが落選[7]。1969年の第32回衆議院議員総選挙で自由民主党公認を得て、再び広島3区から立候補し初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
自民党内では佐藤派→田中派→竹下派に所属し、運輸政務次官、国土政務次官、衆議院逓信常任委員長、第2次中曽根内閣第1次改造内閣の農林水産大臣、第2次海部内閣の国土庁長官、竹下派事務総長[8]などを歴任。また、同期当選の小沢一郎の盟友として知られ、「小沢総理」実現を生涯の目標とした。
1992年の竹下派分裂に伴い、羽田・小沢派に参加。翌年、自民党を離党し新生党結成に参画、新生党常任幹事に就任した。羽田内閣では北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官を務めた。
議員在職中の1996年3月7日未明、体調不良を訴えて搬送されたが、同日、気管支動脈瘻による出血のため、死去した。73歳没。死没日付をもって正三位に叙された。追悼演説は同年4月12日の衆議院本会議で、宮澤喜一により行われた[10]。