県立君津高校から東海大学工学部通信工学科[1][2]を経て1989年に日本電気に入社、NECブルーロケッツでの背番号は11。入社年度の日本リーグでは新人賞とベスト6を受賞。その後、日本リーグ、Vリーグ通算して4回、黒鷲旗では5回の日本一に輝いた。1993年からは主将を務め、1999年現役を引退するまでの10年間、チームを支え続けた。
引退後は社業の傍ら、春高バレーコーチングキャラバンや小学生と大学生チームのコーチを務めた。
2019年、創部3年目で高校総体(インターハイ)に出場する都城東高等学校の監督を務め[3][4]、留学生であるアライン・デ・アルマスを指導した[5][6]。