越川優

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-06-30) 1984年6月30日(41歳)
ラテン文字 Yu Koshikawa
越川 優
Yu Koshikawa
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-06-30) 1984年6月30日(41歳)
出身地 日本の旗 石川県金沢市
ラテン文字 Yu Koshikawa
身長 189cm[1][2]
体重 86kg
血液型 A型
選手情報
所属 モンゴルの旗 Altain bars
背番号 7
愛称 ユウ
ポジション OH
指高 243cm
利き手
スパイク 347cm
ブロック 330cm
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越川 優(こしかわ ゆう、1984年6月30日 - )は、日本の元男子ビーチバレーボール選手、インドアバレーボール選手。元日本代表ホリプロスポーツ文化部所属[3]

全日本入り

石川県金沢市出身。金沢市立野田中学校を卒業後、高校バレーの名門・長野県岡谷工業高等学校に入学。在学中の春の高校バレーでは2年生時にキャプテンとして準優勝。インターハイは1年生時に優勝、2年生時に準優勝、3年生時に3位入賞。3年生時での国体でも優勝を飾った。

2002年釜山アジア大会で、(男子では)高校生初の全日本代表入りを果たす。高校卒業後、2003年Vリーグサントリーサンバーズに入団。

2005年9月に行われた第13回アジア選手権では、ベストスコアラーを獲得し、日本の5大会ぶりの優勝に貢献。

2006年7月、サントリーサンバーズとプロ契約を結んだ。マネージメント会社はホリプロ。自身のスポーツ用品スポンサーはミズノ

2007年ワールドカップに出場。「プリンス・オブ・ニッポンバレー」というキャッチコピーが用いられた[4]

2008年8月、北京オリンピックに出場し、1次リーグA組第3戦目の中国戦にて、左膝の半月板を断裂。翌々日の第4戦目、ベネズエラ戦に出場するも第3セットで途中交代。第5戦目アメリカ戦は出場を見合わせ、その後、帰国し手術が行われた。

イタリアプロリーグ・セリエAへ

2009年7月、イタリア2部リーグ(セリエA2)のパッラヴォーロ・パドヴァ(現・Fidia Padova)へ完全移籍した[5]。 同じ年のグラチャンは、左膝半月板再断裂のため出場せず。これは2009年10月9日の練習中に膝をひねった事が原因とのこと[6]

2010年4月、イタリア2部リーグ(セリエA2)8位にてシーズン終了。同年9月、イタリアで行われた世界選手権(世界バレー)に出場し、2次ラウンド(13位)で終了した。

2011年4月3日、イタリア2部リーグ(セリエA2)2位にてレギュラーラウンド終了。プレーオフへ進出。同年5月11日、イタリア2部リーグ(セリエA2)プレーオフ・ファイナル第3戦にて、サンタクローチェ(NGM MOBILE S.CROCE)に3-2で勝利し、所属チームPhyto Performance Padovaは来シーズンのA1昇格が決定した。同年7月、2011/12シーズンの所属が決定。イタリア1部リーグ(セリエA1)「Fidia Padova」で、日本人5人目となるA1プレーヤーとなる。2012年1月5日のローマ(M. Roma Volley)戦では、リベロとして全セット出場[7]

しかし2011年のワールドカップのメンバーからは外れ、2012年3月30日発表の2012年度全日本男子チーム登録メンバー27名には入っていたが、5月16日発表の登録メンバー20名、5月31日発表の最終登録メンバー12名には選出されなかった[8]

日本球界・全日本復帰

2012年7月、サントリーサンバーズへの復帰が発表された[9]

2013年7月、サントリー退団が発表され[10][11]、8月5日にJTサンダーズに移籍した[12]

同年11月のグラチャンバレーに出場。4戦目のイタリア戦では、全日本主将の山村宏太がベンチメンバー(エントリーメンバー14人のうち各試合12人)から外れたため、越川が代わりに、キャプテンマークが付いた17番のユニフォームで試合に臨んだ[13]

2013/14Vプレミアリーグにおいて、Vリーグ歴代1位となるサーブ効果率21.1%を記録し、さらに最多得点部門でも日本人選手歴代1位となる532点をたたき出すなど[14]、JTの10年ぶり準優勝に大きく貢献し敢闘賞及びベスト6賞・サーブ賞の栄に浴した[15]

2014/15Vプレミアリーグにおいて、JT悲願の初優勝の原動力となり、MVPを獲得した。2017年1月5日、JTサンダーズは越川の今季限りの退部とビーチバレーボール転向を発表した[16]

2017年、プロビーチバレープレイヤーに転向したが、2020年8月、ヴォレアス北海道への入団を発表。ビーチバレーボールの活動を続けつつ、インドアへ復帰した[17]。2021年もヴォレアスと契約更新し、選手と同時にコーチ、チームディレクター(GM補佐)、アカデミーアドバイザーとしても契約した[18]

2022年3月21日、現役引退を表明[19]。V2優勝を果たし、現役最後の戦いとしてVC長野トライデンツとの入替戦(V・チャレンジマッチ)に臨んだが、得点率で敗れチームのV1昇格は叶わなかった[20]。2022年5月8日、札幌市内で引退会見を行い、「常に挑戦し続けてきたバレー人生だったので後悔は1つもありません。たくさんの方々に支えていただき本当に幸せだと思う」とコメントした。また、道内を拠点に次世代の選手育成へ向け活動する意向も示した。2022年5月末でヴォレアスとの契約を終える[21]

2025年11月、モンゴルリーグでプレイングコーチとして現役復帰[22]

プレースタイル

破壊力抜群の高速ジャンプサーブ[23]、最高到達点347cmの高さを生かした強烈なスパイクが武器である。以前はサーブレシーブを苦手にしていたが、イタリア・セリエAではサーブレシーブを任される(リベロとして出場したことも[7])などかなり改善された。

人物

  • 父親(星稜高校バレー部出身で国体出場経験あり、母親もクラブチームで全国を経験[24])譲りの、好き(家に自動車専門誌があったり一緒に輸入車ショーに行ったり)だった。しかし、所属していたサントリーサンバーズでは当時、「25歳まで車を買ってはいけない」という内規があったという。電車・バスなど他の乗り物も好きで、将来の夢はパイロットだった[25]
  • 姉は元岡山シーガルズの越川瞳美[24]
  • 2013年7月に結婚。その後離婚し、2018年11月、ビーチバレー選手・石井美樹との結婚を自身のInstagramで発表した[26][27]。その後、「週刊文春」2022年1月13日発売号で離婚が報じられた[28]

球歴

受賞歴

  • 2004年 - 第10回Vリーグ 新人賞
  • 2006年 - 第12回Vリーグ 敢闘賞・サーブ賞・ベスト6
  • 2007年 - 2006/07V・プレミアリーグ 最高殊勲選手賞・ベスト6
  • 2009年
    • 2008/09V・プレミアリーグ サーブ賞、ベスト6
    • 第58回黒鷲旗大会 ベスト6
  • 2013年 - 2012/13 Vプレミアリーグ ベスト6[29]
  • 2014年
    • 2013/14 Vプレミアリーグ 敢闘賞、ベスト6、サーブ賞
    • 第63回黒鷲旗大会 敢闘賞、ベスト6
  • 2015年
    • 2014/15 Vプレミアリーグ 最高殊勲選手賞、ベスト6
  • 2017年

所属チーム

個人成績

Vプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り[30]

シーズン所属出場アタックブロックサーブレセプション総得点備考
試合セット打数得点決定率効果率決定/set打数エース得点率効果率受数成功率
2003/04サントリー217326912546.5%%130.182783612.95%17.4%29956.2%174
2004/052810356229051.6%%310.30360339.17%15.7%44064.8%354
2005/06279760633855.8%%350.36346308.67%17.2%17363.4%403
2006/07269565534652.8%%410.43403348.44%16.1%34764.6%421
2007/082810067437155.0%%440.44417337.91%15.7%43061.6%440
2008/09248451026852.5%%320.383693710.03%16.7%32866.2%337
2012/13289662328345.4%%420.44375338.80%17.0%54063.9%358
2013/14JT2811086142649.5%%460.424856012.37%21.1%72565.9%532
2014/15217961027044.3%%260.33308237.47%15.7%47462.4%319
2015/16166337015342.7%%210.2525021%16.8%48859.0%254
2016/17218155823542.1%%370.4628925%15.1%43958.1%297
太字はタイトル獲得

脚注

関連項目

外部リンク

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