渡辺融 (官僚)
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肥後国出身。熊本藩士・渡辺藤太の長男として生まれ、祖父・渡辺才右衛門の後を継いだ[1]。
明治5年(1872年)熊本県一等出仕となる[3]。1973年2月、白川県少属に就任[4]。さらに熊本県権中属となる[1]。その後、判事に転じ、熊本区裁判所長、中津区裁判所長を歴任。そして検事となり、高知地方裁判所検事、岐阜地方裁判所検事、名古屋地方裁判所検事を歴任[3]。1890年、安濃津地方裁判所検事正に就任[1]。以後、名古屋地方裁判所検事正、横浜地方裁判所検事正を歴任[3]。1897年12月、農商務省山林局長に就任。1898年7月5日、依願免本官となり退官[4][5]。
1900年1月、高知県知事に登用された。無理な土木事業等を進めず、教育行政に注力し、中学校の増設を行った[6][7]。1903年6月、山口県知事に転任。1912年6月、知事を辞職し退官した[1]。同年7月12日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[8]。
