広島県厳島町生まれ。東京の錦城中学校中退。報知新聞、中国新聞、大阪毎日新聞の記者を務め、森永製菓、松坂屋の宣伝部に在籍した。1926年短編「花骨牌」を『大衆文芸』に発表し、長谷川伸らと交わるようになる。1938年、著名な作家らがペン部隊を編成して大陸に渡り始めると、長谷川とともに港も海軍に従軍申請を行い、同年10月までに認められている[1]。1941年には海軍報道班員としてベトナム方面に従軍。
戦前出版社を経営していた戸田城聖とは自らの小説を戸田の出版社から刊行したことから親しくなり、戦後は創価学会の機関誌だった聖教新聞で嘱託となり日蓮の伝記小説『小説日蓮大聖人』を同紙で連載した。