田中陽子 (サッカー選手)

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愛称 ようこ、たなよう
カタカナ タナカ ヨウコ
ラテン文字 TANAKA Yoko
国籍 日本の旗 日本
田中 陽子
名前
愛称 ようこ、たなよう
カタカナ タナカ ヨウコ
ラテン文字 TANAKA Yoko
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1993-07-30) 1993年7月30日(32歳)
出身地 山口県山口市
身長 157cm
体重 47kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 レノファ山口FCレディース
ポジション MF
背番号 10
利き足 右足
ユース
FCレオーネ
2006-2011 JFAアカデミー福島
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2010-2011 日本の旗 JFAアカデミー福島 24 (11)
2012-2014 日本の旗 INAC神戸レオネッサ 34 (8)
2015-2019 日本の旗 ノジマステラ神奈川相模原 88 (35)
2019-2021 スペインの旗 スポルティング・ウエルバ英語版 42 (5)
2021-2022 スペインの旗 ラージョ・バジェカーノ 15 (0)
2022-2024 大韓民国の旗 仁川現代製鉄レッドエンジェルズ 27 (3)
2025- 日本の旗 レノファ山口FCレディース
通算 249 (63)
代表歴2
2008-2010  日本U-17 9 (4)
2012  日本U-20 6 (6)
2013  日本 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年12月13日現在。
2. 2013年9月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

田中 陽子(たなか ようこ、1993年7月30日 - )は、山口県山口市出身の女子サッカー選手。レノファ山口FCレディース所属。ポジションはミッドフィールダー

ユース

山口県山口市小郡出身。地元のジュニアユースクラブであるFCレオーネ(現・レノファ山口FCアカデミー)でサッカーを始める[1]原川力は小学2年から6年までレオーネで一緒にプレーした幼なじみである[2]

2006年、山口市立小郡小学校を卒業後、日本サッカー協会が運営する中高一貫教育のエリート選手育成機関JFAアカデミー福島に1期生として入校[3]

シニア

2012年にアカデミー卒校後、INAC神戸レオネッサに入団[4]。同年3月15日日韓女子リーグチャンピオンシップの高陽大教ヌンノピ戦でINACでの公式戦初出場を果たし、同年6月23日なでしこリーグカップ福岡J・アンクラス戦で公式戦初ゴールを挙げた[5]

2014年、山口ふるさと大使に就任した[1]。代表でのキャリアを積んだINAC時代であったが、チーム内では定位置をなかなか掴めず、出場機会を減らしていった[6]

2015年、当時なでしこリーグ2部に所属していたノジマステラ神奈川相模原へ移籍[7][8]。チームを率いていたのがJFAアカデミー福島と同じくJヴィレッジを拠点としていたTEPCOマリーゼ元監督の菅野将晃だったことと、「攻撃も守備も90分間チーム一丸となって走っている姿を見て、このチームで1部昇格を達成したい」と、チームスタイルに惹かれての移籍であったことを後に明かしている[6]。この年はリーグを2位で終え、同年12月スペランツァFC大阪高槻とのなでしこリーグ1部、2部入れ替え戦に挑んだが、2戦合計2-2ながらアウェーゴール数で下回り、チームの1部昇格はならなかった[9]

2016年9月25日愛媛FCレディース戦で、なでしこリーグ通算100試合出場を達成した[10]。同年10月、なでしこリーグ2部で優勝を果たし、チームの1部昇格に貢献[11]2017年には第39回皇后杯準優勝にも貢献した[12]

2019年6月26日、海外でプレーするために同年6月30日付でノジマステラを退団することが発表された[13]。同年7月2日、移籍先がスペイン女子1部スポルティング・ウエルバ英語版であることが明らかにされた[14]

2021年7月8日、自身の公式Instagramでスポルディング・ウエルバを退団を報告[15]。同年9月1日ラージョ・バジェカーノ・フェメニーノへの加入が発表された[16]

2022年7月7日、自身の公式Instagramで1シーズンでのラージョ退団を報告した[17]

2022年8月1日、韓国WKリーグ仁川現代製鉄レッドエンジェルズへの加入が発表された[18]された。ポジションはミッドフィルダー、背番号は25、ユニフォームの名前表記は「요코」(ようこ)。

2024年12月13日、地元山口県からなでしこリーグ昇格を目指すレノファ山口FCレディースへの加入が発表された[19]。なお、同チーム初のプロ契約選手となる[20]

代表

2008年U-17女子W杯には、岩渕真奈らと共に飛び級となる15歳で選出された[21]2010年にも同大会に選出され、全試合にスタメン出場。ボランチながらミドルシュートで6試合4ゴールを挙げる活躍を見せ、日本の準優勝に貢献した[22]

2012年、日本で開催されたU-20女子ワールドカップでは、本来のトップ下、ボランチのほかに、サイドハーフ、サイドバックといった様々なポジションで起用されながらも、全6試合で6ゴール2アシストの活躍を見せ、日本を同大会初の銅メダルへと導いた[23]。中でもグループリーグ・スイス戦では、前半に右足、後半には左足と、左右両足で直接フリーキックを決めた[24]。同大会で挙げた6ゴールは得点ランク2位となりシルバーシューズ賞を受賞した[25]。その活躍から山口市スポーツ特別表彰を受賞した[26]

2013年アルガルヴェ・カップ2013に出場するサッカー日本女子代表メンバーに選出され、初のA代表招集となった[27]。同年3月6日ノルウェー戦で、A代表初出場を果たした[28]。しかし、その後2013年以降は代表での出場から遠ざかっている。

個人成績

タイトル

出演

脚注

外部リンク

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