菅野将晃
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | カンノ マサアキ | |||||
| ラテン文字 | KANNO Masaaki | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1960年8月15日(65歳) | |||||
| 出身地 | 神奈川県 | |||||
| 身長 | 175cm | |||||
| 体重 | 71kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF/FW | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1976-1978 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1979-1993 |
| 212 | (35) | |||
| 1994 |
| 8 | (1) | |||
| 通算 | 220 | (36) | ||||
| 監督歴 | ||||||
| 2001-2002 |
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| 2003 |
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| 2004 |
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| 2006-2008 |
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| 2009-2011 |
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| 2012-2018 |
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| 2019-2021 |
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| 2022-2023 |
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1. 国内リーグ戦に限る。2009年9月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
菅野 将晃(かんの まさあき、1960年8月15日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
息子は元サッカー選手でサッカー指導者の菅野将太。
選手時代
神奈川県立旭高等学校卒業後、古河電気工業入社。
現役時代は古河電工サッカー部、ジェフユナイテッド市原、当時ジャパンフットボールリーグ所属の京都パープルサンガを最後に現役引退。
指導者時代
Jリーグ
現役引退後の1995年から京都パープルサンガのユースチームコーチに就任、1998年からはトップチームコーチ兼サテライト監督、1999年からはジュニアユースの監督を務めた。この間、1997年にJFA公認S級コーチライセンス研修を受講し合格している。
2001年からは水戸ホーリーホックのヘッドコーチとなっていたが、7月に小林寛監督がゼネラルマネージャーに転身したのに伴い監督に昇格、2002年まで務めた。
2003年、大宮アルディージャの監督を務めたものの、成績不振で10月に解任された。
2004年、浦和レッドダイヤモンズユースチームの監督に就任した[1]。
2005年からは湘南ベルマーレのコーチに就任。2006年6月8日には上田栄治監督の辞任に伴い、監督に昇格。2007年、2008年と続けてJ1昇格争いを繰り広げたが、それぞれ6位、5位と昇格を逃し、責任を取る形で2008年限りで退任した[2]。
東京電力女子サッカー部マリーゼ
2009年からは福島県楢葉町・広野町を本拠地とするなでしこリーグ所属の東京電力女子サッカー部マリーゼ監督に就任した。リーグ戦での2年連続3位をはじめ[3]、好成績を挙げたが、2011年の東日本大震災によってチームが休部となった[4]。当時、菅野は「震災後、1カ月は何もする気が起きなかった」状態だったという[5]。同年7月にドイツで行われた2011 FIFA女子ワールドカップで優勝したサッカー日本女子代表のメンバーには、マリーゼで指導した鮫島彩と丸山桂里奈がいた[6]。
ノジマステラ神奈川相模原
2012年、ノジマが立ち上げた「ノジマステラ神奈川」の初代監督兼GMに就任[7]。活動初年度には神奈川県3部リーグ優勝、皇后杯本選出場(最終的には3回戦進出)、さらにプレナスチャレンジリーグ参入決定戦を2連勝し、2013年からのチャレンジリーグ昇格を勝ち取った。
2015年シーズンはなでしこリーグ2部で2位となり、スペランツァFC大阪高槻との1、2部入れ替え戦に挑んだが、2戦合計2-2ながらアウェーゴール数で下回り、1部昇格を逃した[8]。
2016年シーズン、なでしこリーグ2部で優勝を果たし、チームを1部昇格に導いた[9]。
2018年シーズンまでノジマステラを率いて退任。
所属クラブ
- 1979年 - 1993年 古河電工/ジェフユナイテッド市原
- 1994年 京都パープルサンガ
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1979 | 古河 | 28 | JSL1部 | 11 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 14 | 2 |
| 1980 | 17 | 8 | 0 | 2 | 0 | 2 | 1 | 12 | 1 | ||
| 1981 | 15 | 1 | 3 | 1 | 2 | 1 | 20 | 3 | |||
| 1982 | 10 | 1 | 3 | 1 | 3 | 2 | 16 | 4 | |||
| 1983 | 16 | 2 | 1 | 0 | 1 | 1 | 18 | 3 | |||
| 1984 | 12 | 15 | 5 | 0 | 0 | 2 | 1 | 17 | 6 | ||
| 1985 | 16 | 4 | 2 | 2 | 2 | 3 | 20 | 9 | |||
| 1986-87 | 16 | 1 | 5 | 1 | ※ | 21 | 2 | ||||
| 1987-88 | 20 | 5 | 2 | 1 | 4 | 4 | 26 | 10 | |||
| 1988-89 | 19 | 6 | 1 | 0 | 2 | 0 | 22 | 6 | |||
| 1989-90 | 21 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 23 | 3 | |||
| 1990-91 | 22 | 4 | 5 | 1 | 1 | 6 | |||||
| 1991-92 | JR古河 | 21 | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | ||||
| 1992 | 市原 | - | J | - | 7 | 0 | 3 | 0 | 10 | 0 | |
| 1993 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
| 1994 | 京都 | 12 | 旧JFL | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 |
| 通算 | 日本 | J | 2 | 0 | 8 | 0 | 3 | 0 | 13 | 0 | |
| 日本 | JSL1部 | 210 | 35 | 27 | 7||||15||||57 | ||||||
| 日本 | 旧JFL | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | ||
| 総通算 | 220 | 36 | 35 | 7||||15||||58 | |||||||
※1986年度の天皇杯は、古河電工がアジアクラブ選手権1986-87出場のため辞退
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 5試合1得点
- 1991年
- コニカカップ 5試合0得点
指導歴
- 1995年 - 1997年 京都パープルサンガ:ユースコーチ
- 1998年 京都パープルサンガ:コーチ兼サテライト監督
- 1999年 京都パープルサンガ:ジュニアユース監督
- 2000年 京都パープルサンガ:育成統括・ジュニアユース監督
- 2001年1月 - 2001年7月 水戸ホーリーホック:ヘッドコーチ
- 2001年7月 - 2002年 水戸ホーリーホック:監督
- 2003年 - 2003年10月 大宮アルディージャ:監督
- 2004年1月 - 2004年8月 浦和レッドダイヤモンズ:ユース監督
- 2005年 - 2006年6月 湘南ベルマーレ:コーチ
- 2006年6月 - 2008年 湘南ベルマーレ:監督
- 2009年 - 2011年 東京電力女子サッカー部マリーゼ:監督
- 2012年 - 2018年 ノジマステラ神奈川相模原:監督・GM
- 2019年 - FCふじざくら:監督