田辺新田
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| 田辺新田 | |
|---|---|
| 町丁 | |
北緯35度30分19秒 東経139度42分25秒 / 北緯35.505275度 東経139.707003度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 行政区 | 川崎区 |
| 地区 | 田島支所 |
| 面積([1]) | |
| 0.288612805 km² | |
| 設置日 | 1964年(昭和39年) |
| 郵便番号 | 210-0856[2] |
| 市外局番 | 044(川崎MA)[3] |
| ナンバープレート | 川崎 |
| ※人口がごくわずかなため秘匿となっている。 | |
田辺新田(たなべしんでん)は、神奈川県川崎市川崎区の町名[4]。1964年(昭和39年)11月1日に住居表示が実施されている[5]。2010年の国勢調査時点での面積は28.86 ha[1]。川崎区内で唯一、「新田」の付いた行政地名である[6]。
歴史
開拓の年代は正確にはわかっていないが、『新編武蔵風土記稿』に田辺新田は見えず、天保期の『磯付村概要図』には田辺新田の記載があることから、天保期の開発であろうと考えられている[6]。天領であり、『旧高旧領取調帳』での石高は53石であった[6]が、1853年(嘉永6年)の村数等取調書では「家なし」となっていた[8]。
大正時代には富士電機が当地に工場を構え、さらに海側へと埋め立ても進んだ[6]。
地名の由来
沿革
- 天保年間 - 『磯付村概要図』に田辺新田の名がある。
- 1845年(弘化2年)- 田辺佐五右衛門により稲荷社が設けられる。
- 1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県所属となる[6]。
- 1874年(明治7年)- 大区小区制の施行により、当地は第4大区第4小区に属する[6]。
- 1889年(明治22年)- 町村制の施行により、田島村が成立。田辺新田はその大字となる。
- 1923年(大正12年)- 田島村が町制を施行し、田島町となる。
- 1924年(大正13年)- 富士電機の工場が操業を開始[9]。
- 1927年(昭和2年)- 田島町が川崎市に編入される。川崎市田辺新田となる。
- 1928年(昭和3年)- 海側が竹ノ下町として埋め立てられる[6]。
- 1964年(昭和39年)- 住居表示の実施に伴い、一部を小田七丁目へ分離、田辺新田の残りと竹ノ下町・白石町の各一部をもって、町丁としての田辺新田が設置される[4]。
- 1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市に移行する。川崎市川崎区田辺新田となる。
学区
事業所
交通
鉄道
路線バス
川崎鶴見臨港バス(浜川崎営業所管轄)が、当地と川崎駅を結ぶバスを運行している。
道路
当地の北端を、神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)と首都高速神奈川1号横羽線(浜川崎出入口 - 浅田出入口間)が通過している。
