白い金曜日 (1916年)

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日付1916年12月13日 (1916-12-13)
時刻05:30 UTC
白い金曜日
マルモラータの位置(イタリア内)
マルモラータ
マルモラータ
日付1916年12月13日 (1916-12-13)
時刻05:30 UTC
場所イタリアドロミーティ
死傷者
2,000–10,000人

白い金曜日(しろいきんようび、White Friday)は、第一次世界大戦中のイタリア戦線において発生した一連の雪崩事故の総称である。最大の雪崩はマルモラーダで発生し、オーストリア・ハンガリー帝国軍の兵舎が襲われ270人が死亡した。同日に別の場所でも雪崩が発生し、イタリア軍や別のオーストリア・ハンガリー軍の陣地を襲い、数百人の死傷者が出た。両軍が相手側を雪で埋めようと画策し、雪面の不安定な部分を意図的に砲撃したと考えられている。

一連の雪崩による死傷者数について、正確な数字は不明であるが、資料によれば少なくとも2,000人以上の兵士と数十人の民間人が犠牲になったとされる[1]

ドロミーティ山脈での雪崩は1916年の水曜日に発生したが、凄惨な状況に対して「白い金曜日」と名付けられ、毎年12月13日が記念日となっており、この日付はイタリアカトリック教徒の大多数が実践するキリスト教の祝日である聖ルチア祭と同日であり、ともに祝われている[2]

オーストリア・ハンガリー帝国の山岳歩兵連隊であるカイザーシュッツェン英語版の兵舎は、マルモラーダのグランポス山頂(標高約3,350m)に建てられていた。木造兵舎として1916年8月に建てられ、帝国王立山岳部隊英語版の兵士たちを収容していた。兵舎は敵の直接射撃から守るため岩の崖沿いに建てられ、高角度迫撃砲の射程外に位置し、イタリアからの攻撃に対する防御を考えて立地されていた[3]

1916年の冬、アルプス山脈では大雪と急激な融解により雪崩が発生しやすい条件が揃っていた。12月初旬から山頂付近でも数メートルの積雪が記録された。オーストリア・ハンガリー軍第一連隊の司令官、ルドルフ・シュミット大尉は自らが率いる隊に危険が迫っていることを察し、上官であるルートヴィヒ・ゴイギンガー中将に山頂付近からの撤退を求める請願書を書いたが、最終的に却下された[4]。 雪崩発生の8日前には大雪で電話が遮断され、各前哨基地は物資不足に陥った[5]

マルモラーダに現存する破壊されたオーストリア・ハンガリー軍基地の遺構

1916年12月13日午前5時30分、20万トン(約100万立方メートル)以上の雪と氷が兵舎に直撃した。大量の兵士を収容した木造建築は雪の重みで崩壊し、中にいた兵士たちは押し潰された。その場にいた321人のうち、229人はカイザーシュッツェン兵、102名は支援部隊のボスニア兵であった。わずか数名のみが救助され、270人は生き埋めとなった[3][6]。その後回収できた遺体はわずか40人であった。シュミット大尉とその副官は、軽傷を負いながらも生存した[5]

ヴァル・チャンピ・ダレイの雪崩

12月13日の夜、イタリア第7山岳連隊英語版の兵舎が雪崩に襲われた。イタリア軍はこの悲惨な日を聖ルチアにちなんで「ラ・サンタ・ルチア・ネラ」と呼んだ[6]

その後

白い金曜日の一連の雪崩事故で、延べ10,000人もの兵士が死亡した。これは雪崩による死亡者数では過去最大級となった。雪崩に関連するすべての出来事による死亡者数では、1970年のワスラカンでの雪崩事故英語版に次ぐ記録上2番目の雪崩関連災害となっている[7]

関連項目

参考文献

付録

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