矢問駅

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 兵庫県川西市矢間
北緯34度49分32秒 東経135度24分36.7秒 / 北緯34.82556度 東経135.410194度 / 34.82556; 135.410194座標: 北緯34度49分32秒 東経135度24分36.7秒 / 北緯34.82556度 東経135.410194度 / 34.82556; 135.410194
所属路線 妙見線
キロ程 (川西国鉄前起点)
矢問駅*
やとう
YATOU
滝山
所在地 兵庫県川西市矢間
北緯34度49分32秒 東経135度24分36.7秒 / 北緯34.82556度 東経135.410194度 / 34.82556; 135.410194座標: 北緯34度49分32秒 東経135度24分36.7秒 / 北緯34.82556度 東経135.410194度 / 34.82556; 135.410194
所属事業者 能勢電鉄
所属路線 妙見線
キロ程 (川西国鉄前起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1916年大正5年)9月5日[1]
廃止年月日 1953年昭和28年)8月21日[2]
テンプレートを表示

矢問駅(やとうえき)は、かつて兵庫県川西市矢問に存在した能勢電鉄妙見線鶯の森駅の開業にともない、1953年昭和28年)に廃止[2]された。

矢問駅が営業していた期間の能勢電鉄は軌道法に依って営業する能勢電気軌道であって、正式な名称は矢問停留所[2]である。

年表

能勢電気軌道は1914年(大正3年)に破産し、会社更生のための再建策として池田駅(後の川西国鉄前駅)への乗降場の設置や帝国鉱泉平野工場への引き込み線の敷設が行われた[3][注釈 1]。矢問停留所はこの輸送力充実の一環として矢問、西多田地区の乗客のために新設された[5][6]

1953年(昭和28年)、鶯の森停留所(現在の鶯の森駅)の開設と合わせて廃止された[7]

旧猪名川橋梁の痕跡。左上の落石防止柵の辺りが矢問駅。(2026年撮影)
旧猪名川橋梁の痕跡。左上の落石防止柵の辺りが矢問駅。(2026年撮影)

駅構造

猪名川橋梁南詰の曲線上に設けられた[7]。駅の廃止は在来車よりも大型(全長13メートル)で台車中心間の長い50形では車体とホームのすき間が大きくなるのが要因であった[10]

この曲線は半径24メートルの急なもので、駅廃止後の1957年(昭和32年)に半径34メートルへの緩和と鉄橋の補強が行われ、翌年より10形による二両連結運転が始まった[11]

1969年(昭和44年)には約150メートル下流に新しい猪名川橋梁がトラス橋で架設され、矢問駅跡を含む区間は新線に付け替えられた[12]。合わせてダイヤ改正が行われ、三両連結運転が始まっている[13]

駅名の由来

駅が設置された地名、川辺郡多田村矢問にちなむ。平安時代清和源氏の祖として知られる源満仲が居館を構える際に、白羽の矢を放って神意を問うた「矢問うの里」の伝説[14]があり、この伝説は三ツ矢サイダーの商標にもなっている[15]

駅周辺

1896年(明治29年)に能勢地方を襲った水害を伝える水害記念碑
1896年(明治29年)に能勢地方を襲った水害を伝える水害記念碑

営業時には猪名川上流の景勝地として狩りで名高く、鼓滝駅とともに能楽落語の題材になった鼓ヶ滝の奇勝(西行鼓ヶ滝も参照)の最寄駅として知られた[16]

銀橋を挟んだ猪名川対岸の国道173号沿いには、1896年(明治29年)9月1日に能勢地方を襲い、九村が水底に沈み20数人が死傷した水害を伝える水害記念碑が1898年(明治31年)に建てられている[17]


隣の駅

能勢電鉄
妙見線
滝山駅 - 矢問駅 - 鼓ヶ滝駅

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI