礼記子本疏義
From Wikipedia, the free encyclopedia
成立
日本への伝来
古くから日本に伝来し、藤原佐世『日本国見在書目録』に著録される「礼記子本義疏百巻」は、この書物であるとされる[6]。このうち、第五十九の一巻のみが現存し、早稲田大学図書館に所蔵され、国宝に指定されている[2]。この本は巻尾に「内家私印」の印があり、これは光明皇后(聖武天皇の皇后)の蔵書印とされる[2]。
この『礼記子本疏義』写本は、長らく所在が不明であったが、19世紀末に再発見されたという経緯がある。1890年、田中光顕が島田蕃根から『礼記子本疏義』を購入すると、1904年に島田翰『古文旧書考』に『礼記子本疏義』の考察と翻刻が掲載される[7][2]。1905年、早稲田大学図書館が田中光顕より『礼記子本疏義』の寄贈をうける。当時の早稲田大学図書館長である市島春城が、田中に直接書簡を送ったことがきっかけである[8][2]。1909年には、羅振玉が早稲田大学を訪れ、『礼記子本疏義』を閲覧する。羅振玉は、のちに複製本を影印によって石印本を作製し、「六朝写本礼記子本疏義」と題して自家出版した。この本が一般に流布し、羅振玉の全集にも収録されるなど、広く知られることとなった[2]。
1931年、文部省国宝保存会・国宝監査会委員が調査し、『礼記子本疏義』が国宝に指定された[2]。1952年、戦後改めて国宝に指定された[2]。
近年の研究に、島田翰・羅振玉・鈴木由次郎・山本巌・喬秀岩・大坊眞伸・華喆らによるものがある[6]。