神愛の聖母
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| イタリア語: La Madonna del Divino amore 英語: The Madonna of Divine Love | |
| 作者 | ラファエロ・サンツィオ |
|---|---|
| 製作年 | 1516年-1518年頃 |
| 種類 | 油彩、板 |
| 寸法 | 140 cm × 109 cm (55 in × 43 in) |
| 所蔵 | カポディモンテ美術館、ナポリ |
『神愛の聖母』(しんあいのせいぼ、伊: La Madonna del Divino amore, 英: The Madonna of Divine Love)として知られる『聖家族』(せいかぞく、伊: La Sacra Famiglia, 英: The Holy Family)は、盛期ルネサンスのイタリアの巨匠ラファエロ・サンツィオが1516年から1518年頃に制作した絵画である。油彩。ロマーニャ地方の都市メルドラの領主リオネッロ・ピオ・ダ・カルピ(Lionello Pio da Carpi)のために制作された。パルマ公爵アレッサンドロ・ファルネーゼのコレクションを経て、現在はナポリのカポディモンテ美術館に所蔵されている[1][2][3]。またウィーンのアルベルティーナに部分的な準備素描が所蔵されている[4]。
今日、通称として定着している『神愛の聖母』は、1824年にドイツの画家フリードリヒ・レーベルクが著書『ウルビーノ出身のラファエルの聖家族』(Rafael Sanzio aus Urbino)に収録した本作品のリトグラフの題名に由来する[5]。美術史家カトルメール・ド・カンシーのモノグラフのイタリア語訳の中で取り上げられたため、それ以来出版物で広く定着した。しかし図像学的モデルでは「聖エリサベトと幼い洗礼者ヨハネをともなう聖家族」群の作品であることは疑いない。
作品
現存しないレオナルドのカルトンに基づくとされるアンドレア・デル・ブレシアニーノの『聖母子と聖アンナ』(左)。1501年。ベルリン絵画館所蔵[10]。レオナルド・ダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』(右)。1508年頃。ルーヴル美術館所蔵[11]。 | ||

ラファエロは幼児のイエス・キリストを礼拝する聖母マリアを中心とする聖家族を描いた。聖母マリアは右脚の膝を立てた姿勢で座り、伸ばした左脚の上にまたがる幼児のキリストに対して手を合わせながら背後から見つめている。幼児のキリストは聖母の膝にもたれかかりながら、幼い洗礼者ヨハネに祝福を与えている。このキリストのすぐそばで祝福を与える彼の右腕を支えているのは、年老いた叔母の聖エリサベトである。その息子の洗礼者ヨハネは跪き、キリストを見上げて真っすぐな視線で見つめている。聖ヨハネは画面左の少し離れた場所にあるロッジアから彼らの様子を見守っている。背景には人物たちを取り囲む建築物と、遠景に浮かび上がるメルドラ要塞と思われる城塞の風景が描かれている。ピオ・ダ・カルピ家は1518年にローマ教皇レオ10世によってメルドラを与えられており、メルドラ要塞はその後レオネッロ・ピオ・ダ・カルピが自らの公邸とした場所であった[12]。早朝の光に照らされた一連の4本の柱も特徴的で、洗礼者ヨハネと聖母マリアの足元にはローマ風のヘリンボーン模様のテラコッタの舗装が見られ、おそらく古代の遺跡であることを示している。
ラファエロは聖人たちの集まりを表すために伝統的なピラミッド型の構図を使用していない。その代わりにルーヴル美術館所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』(Sant'Anna con la Vergine e il Bambino)におそらく触発されたと思われ、美術史美術館所蔵のラファエロの『牧場の聖母』(La Madonna del Prato)を思い出させる、聖母マリアの伸ばした左脚を中心に据えた革新的な対角線状の配置で描いた[13]。
本作品の様式的特徴は、背景を暗く不透明な塊で構成する建築的な枠組みと、聖ヨセフの人物像を周縁化することで守護者としての役割を強調している点にある。これらの要素は例えばプラド美術館所蔵の『ラ・ペルラ』(La Perla)の通称で知られる『聖家族』(La Sacra Famiglia)でも見られる。また洗礼者ヨハネの突き出た唇も注目に値し、同じくプラド美術館所蔵の『バラの聖母』(La Madonna della Rosa)でも見ることができる[14]。
様式上の特徴に基づく制作年代は、ラファエロの同時期の幼い洗礼者ヨハネと聖エリサベトを含む多くの類似の聖家族画、ルーヴル美術館所蔵の『小さな聖家族』(La Piccola Sacra Famiglia)やプラド美術館所蔵の『聖家族』などとの比較に基づいている。
解釈
キリストは洗礼者ヨハネが持つ葦の十字架に引き寄せられ、受難の運命を受け入れたことを改めて示しているように見える。葦の十字架は『牧場の聖母』での役割がそうであったように、2人の子供たちを結びつける役割を果たしている。『牧場の聖母』では葦の十字架は遊び心のある要素として描かれたが、ここではより明確な神学的意味合いを帯び、跪く洗礼者ヨハネを祝福するキリストの身振りによってそれが際立っている。この絵画的文脈において、美術史家たちは聖エリサベト(あるいは一部の説では聖母マリアの母である聖アンナ[15])の極めて繊細かつ注意深くキリストの右腕を支える仕草に注目している。
カルメル会総長代理の修道士ピエトロ・ダ・ノヴェッラーラ(Pietro da Novellara)は1501年4月3日にマントヴァ侯爵夫人イザベラ・デステに宛てた手紙の中で、レオナルドの『聖アンナと聖母子』のカルトン(原寸大下絵)について次のように解釈している。
・・・フィレンツェに居を構えて以来、(レオナルドは)母親の腕からほとんど抜け出そうとしている生後1歳ほどの幼いキリストを描いたカルトンを1枚だけ制作しました。彼は仔羊の方を向き、まるでそれを抱きしめようとしているかのようです。聖アンナの膝からほとんど身を起こした母親は、幼い我が子をしっかりと抱きかかえ、受難を象徴する仔羊(犠牲の動物)から引き離そうとしています。少し身を起こした聖アンナは、娘が幼子を子羊から引き離さないように制止したがっているかのように見えます。おそらく教会はキリストの受難が妨げられないことを表現したかったのでしょう。 — 1501年4月3日付けのピエトロ・ダ・ノヴェッラーラからイザベラ・デステに宛てた手紙
実際に、現存しないレオナルドのカルトンに基づくとされるアンドレア・デル・ブレシアニーノの『聖アンナと聖母子』(Sant'Anna con la Vergine e il Bambino)では、聖アンナは聖母マリアの行動を両手で制止しているように見える。本作品の聖エリザベトの仕草を、幼児キリストに課せられた犠牲的な使命に対して『聖アンナと聖母子』のカルトンで示されたものと同等の支持と解釈する人々もいる。そういう意味で、これは敬虔な母としての作法で描かれた聖母マリアの礼拝の祈りを補完するものである[16]。
帰属
19世紀、美術史家たちは絵画を「少なくとも主要部分は」ラファエロの作としていた[17]。一方でラファエロの工房作、弟子のジュリオ・ロマーノあるいはジャンフランチェスコ・ペンニによるものだとする説もある。特にカポディモンテ美術館版画素描部門にはペンニによるものとされる絵画と同じサイズの全体素描が残されており、準備素描と見なされたことは、絵画をペンニの作と見なすことに疑問を挟む余地はないように思われた[17]。もっとも、この素描の作者は現在ではロマーノともラファエロともされ、作者の特定は困難となっている[18]。この素描は弟子たちがラファエロの絵画制作だけでなく、準備段階においても助力していたという説を裏付ける[15]。一方、カポディモンテ美術館は近年の修復および科学的調査の結果を踏まえて、本作品をラファエロの作品であることが証明されたと主張している[17][19]。
来歴
レオネッロ・ピオ・ダ・カルピが所有していた絵画は、所有者の死後に甥の枢機卿ロドルフォ・ピオ・ダ・カルピに相続された。ジョルジョ・ヴァザーリはロドルフォの邸宅で本作品を鑑賞している。その後、ロドルフォが1564年に死去すると、同年にパルマ公爵アレッサンドロ・ファルネーゼによって購入され、ファルネーゼ家のコレクションに加わった。絵画はローマのファルネーゼ宮殿でほぼ1世紀にわたって所蔵されたのち、パルマのジャルディーノ宮殿に移された。これをファルネーゼ家の壮麗なコレクションの一部としてナポリに移したのが、スペイン国王フェリペ5世とエリザベッタ・ファルネーゼの息子で、後にスペイン国王となるカルロス3世であった[19]。現在はナポリのカポディモンテ美術館に所蔵されている[1]。