福井鉄道80形電車
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| 福井鉄道80形電車[2] 福井鉄道90形電車[2] | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 製造所 | 川崎造船所 |
| 主要諸元 | |
| 編成 | 1両 |
| 軌間 | 1067 mm |
| 電気方式 | 直流 600 V (架空電車線方式) |
| 編成定員 | 100 名(座席48名) |
| 車両定員 | 100 名(座席48名) |
| 車両重量 | 28.5 t |
| 最大寸法 (長・幅・高) | 16,540 × 2,600 × 4,400 mm |
| 車体 | 木造 |
| 台車 | ブリル27-E-2 |
| 主電動機 |
三菱MB104-A(80形) 東洋DK90-B(90形) |
| 主電動機出力 |
78.75kW/個(80形) 74.6kW/個(90形) |
| 搭載数 | 2基 / 両 |
| 駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
| 歯車比 | 2.59(80形) |
| 制御方式 | 電空カム軸式 |
| 制御装置 | ゼネラル・エレクトリックPC-5G(80形) |
| 制動装置 | SME 非常直通 |
80形電車の大元は、1921年(大正10年)に川崎造船所兵庫工場で製造された南海鉄道(現・南海電気鉄道)電5形(モハ101形 → モハ521形・モユニ521形)である。前面がタマゴ型に丸味を帯びた5枚窓[注 1]の16メートル級の2扉・木造車で、主電動機はWH社のWH-101-H[注 2]を電装解除された電1形から流用して搭載していた。
南海時代の1940年(昭和15年)に郵便室・荷物室を設置して4扉車[注 3]となり、モユニ521形となったモユニ521 - 524の4両が、1948年(昭和23年)に1501形製造に伴う供出車として福井鉄道に譲渡され、福井鉄道では1両1編成の単行列車として福武線を中心に運行した。
導入当初は、主電動機出力の違いによって以下のように80形・90形の2形式に分かれていた。
- モユニ521 → モハ91(のちモハ83)
- モユニ522 → モハ81
- モユニ523 → モハ82
- モユニ524 → モハ92(のちモハ84)
譲渡に当たって、乗降用扉として使う2か所の扉に福井市内の併用軌道区間での乗降用として折畳み式のステップが取り付けられていた。1950年(昭和25年)に、80形の主電動機がDK36からMB104-Aに換装された[3]。なお、これらの木造車体は車体更新時に廃棄されているが、うち1両分が南越線村国駅の待合所として、同線廃線まで利用された。
車体更新後
| 福井鉄道80形電車(車体更新後)[2] | |
|---|---|
| 改造所 |
日本車両製造(車体更新時) 自社(固定編成化時) |
| 主要諸元 | |
| 編成 |
1両(単行時) 2両(固定編成化後) |
| 軌間 | 1067 mm |
| 電気方式 | 直流 600 V (架空電車線方式) |
| 編成定員 |
100 名(座席48名) 200 名(座席96名)(固定編成化後) |
| 車両定員 | 100 名(座席48名) |
| 車両重量 | 31.5 t |
| 最大寸法 (長・幅・高) | 16,500 × 2,750 × 4,265 mm |
| 車体 | 半鋼製 |
| 台車 | TR11改 |
| 主電動機 | 三菱MB104-A |
| 主電動機出力 | 78.75kW/個 |
| 搭載数 |
2(単行時) 4(固定編成化後)基 / 両 |
| 駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
| 制御装置 | 東洋ES517(固定編成化後) |
| 制動装置 | SME 非常直通 |
1956年(昭和31年)に老朽化対策として、日本車輌製造で新製された鋼製車体に更新された。また、全ての車両の主電動機がMB104-Aに換装された[3]。これに伴い、車両番号について以下のように改められた。
- モハ81
- モハ82
- モハ91 → モハ83
- モハ92 → モハ84
これ以降しばらく1両1編成の単行列車として運用されていたが、福武線路面区間のカーブ改良によって徐々に2両連結運転も行われるようになった。1978年(昭和53年)1月には片運転台化改造し2両1編成に改められた。このとき、車両番号を再び以下のように改められた。
- モハ81
- モハ82 → クハ81
- モハ83 → モハ82
- モハ84 → クハ82