福田淳
From Wikipedia, the free encyclopedia
大阪府高槻市[4][5]生まれ。高槻中学校・高等学校[5]を経て、日本大学芸術学部卒業後、東北新社に入社[4]。入社当時はCMのプロダクションマネージャーだったが、2年目に新設された衛星放送部門に配属され、当時の植村伴次郎社長と共にカンヌ、ミラノ、ハリウッドなど世界で仕事をした[6]。1998年にソニー・ピクチャーズ エンタテインメントに移り、衛星放送局のアニマックスやAXNの立ち上げに関わり[7][8]、2001年に同社バイスプレジデントに就任[9]。同社デジタルネットワークス バイスプレジデントを経て、2007年に携帯電話向けコンテンツを手がけるソニー・デジタルエンタテインメント・サービスの代表取締役社長に就任[8]。2017年に退職し[7]、同年コンサルティング会社であるスピーディを設立[4]。キャスティング業務や国際イベントの誘致、アートギャラリー経営などを手掛ける[10]。
また、所属事務所との独立トラブルで改名を余儀なくされ、活動に支障が出ていた女優ののんとエージェント契約を結び、活動の場を国内外に広げたことで評価され、「2年先までスケジュールが埋まっている」と言われる状態を実現させた[10][11]。
2023年12月、STARTO ENTERTAINMENTの代表取締役CEOに就任することが発表された[12]。
2025年6月27日の定時株主総会をもってSTARTO ENTERTAINMENTの代表取締役CEOを退任した[13]。
2025年12月1日付で、InterFM897の社外取締役に就任[14]。
2025年12月15日、16年ぶりに復活するウェブメディア「内外タイムス」の客員編集長に就任したことが発表された[15]。
人物
エピソード
慈善活動
福田は人を笑わせたい、楽しませたいという思いからソニー・ピクチャーズに入社したが、40歳を過ぎてから、笑うどころじゃない人、笑っていない人が一定数存在することに気づき、慈善活動に関心を持つようになった[22] 。
- 2014年8月中旬、単独でアイス・バケツ・チャレンジをした[23]。 当時日本でこの運動は知られていなかったため英語でチャレンジしたが[24]、この動画を日本の筋萎縮性側索硬化症支援団体「END ALS」のメンバーが見ていた。メンバーは福田に日本でこの運動を広めて欲しいと依頼[24]、野球評論家の古田敦也や作家の乙武洋匡などに呼びかけて8月21日に東京タワーの下でイベントを開催[25]、その様子は日本で広く報道された[26]。
- 親交のある坂之上洋子と共にアフリカ支援をしたり[22]、縁のあるNPO団体の役員を務めている[27]。
- 沖縄県南城市に自らがオーナーである「スピーディーファーム」を所持しており、ブルー・ジャワ・バナナを栽培している[28]。収穫したバナナは2024年8月より南城市社会福祉協議会を通して放課後等デイサービスや子どもの居場所を利用している子ども達に寄付している[29][28]。
役職
受賞歴
- 日経WebCOMPANY「21世紀を読む! ITキーパーソン51人」選出(2001年)[38]
- 日経ビジネスオンライン「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー」受賞(2016年)[39]