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福田赳夫内閣 (改造)

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福田赳夫改造内閣(ふくだたけおかいぞうないかく)は、福田赳夫が第67代内閣総理大臣に任命され、1977年(昭和52年)11月28日から1978年(昭和53年)12月7日まで続いた日本の内閣

天皇 第124代 昭和天皇
内閣総理大臣 第67代 福田赳夫
成立年月日 1977年(昭和52年)11月28日
終了年月日 1978年(昭和53年)12月7日
概要 福田赳夫改造内閣, 天皇 ...
福田赳夫改造内閣
皇居での認証式を終えたのち官邸で恒例の記念撮影に臨む閣僚。
天皇 第124代 昭和天皇
内閣総理大臣 第67代 福田赳夫
成立年月日 1977年(昭和52年)11月28日
終了年月日 1978年(昭和53年)12月7日
与党・支持基盤 自由民主党
前内閣 福田赳夫内閣
次内閣 第1次大平内閣
内閣閣僚名簿(首相官邸)
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前の福田赳夫内閣改造内閣である。

内閣の顔ぶれ・人事

所属政党・出身
  自由民主党   民間中央省庁

国務大臣

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職名 氏名 出身等 特命事項等 備考
内閣総理大臣 福田赳夫 衆議院
自由民主党
福田派
自由民主党総裁
留任
法務大臣 瀬戸山三男 衆議院
自由民主党
(福田派)
留任
外務大臣 園田直 衆議院
自由民主党
(福田派)
横滑り
大蔵大臣 村山達雄 衆議院
自由民主党
大平派
初入閣
文部大臣 砂田重民 衆議院
自由民主党
(大平派)
初入閣
厚生大臣 小沢辰男 衆議院
自由民主党
田中派
再入閣
農林大臣 中川一郎 衆議院
自由民主党
(無派閥)
初入閣
農林水産大臣 1978年(昭和53年)7月5日に改称
通商産業大臣 河本敏夫 衆議院
自由民主党
三木派
再入閣
運輸大臣 福永健司 衆議院
自由民主党
(大平派)
再入閣
郵政大臣 服部安司 衆議院
自由民主党
(大平派)
初入閣
労働大臣 藤井勝志 衆議院
自由民主党
(三木派)
初入閣
建設大臣
国土庁長官
櫻内義雄 衆議院
自由民主党
中曽根派
再入閣
自治大臣
国家公安委員会委員長
北海道開発庁長官
加藤武徳 参議院
自由民主党
(福田派)
初入閣
内閣官房長官 安倍晋太郎 衆議院
自由民主党
(福田派)
再入閣
総理府総務庁長官
沖縄開発庁長官
稲村佐近四郎 衆議院
自由民主党
(中曽根派)
初入閣
行政管理庁長官 荒舩清十郎 衆議院
自由民主党
椎名派
再入閣
防衛庁長官 金丸信 衆議院
自由民主党
(田中派)
再入閣
経済企画庁長官 宮澤喜一 衆議院
自由民主党
(大平派)
再入閣
科学技術庁長官 熊谷太三郎 参議院
自由民主党
原子力委員会委員長 初入閣
環境庁長官 山田久就 衆議院
自由民主党
(田中派)
初入閣
国務大臣 牛場信彦 民間 対外経済担当 初入閣
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内閣官房副長官・内閣法制局長官・総理府総務副長官

さらに見る 職名, 氏名 ...
職名 氏名 出身等 備考
内閣官房副長官 森喜朗 衆議院/自由民主党(福田派) 政務担当
道正邦彦 官僚 事務担当、留任
内閣法制局長官 真田秀夫 官僚 留任
総理府総務副長官 越智通雄 衆議院/自由民主党(福田派) 政務担当
秋山進 官僚 事務担当、留任
1978年(昭和53年)4月7日免
秋富公正 官僚 事務担当
1978年(昭和53年)4月7日任
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政務次官

前内閣の政務次官が1977年(昭和52年)11月30日に退任し、同日付で新たな政務次官を任命した。ただし、法務政務次官・青木正久は前内閣からの留任。

内閣の動き

改造前の福田内閣は、発足当初から、自民党の三大派閥である七日会田中角栄派)、清和政策研究会福田赳夫派)、宏池会大平正芳派)が連合したことにより成立していた。元々これらの三派は、田中派と大平派が近しく、これに福田派が、その他中小派閥を巻き込んでこれに対抗する構図であったが、両者の対立が先鋭化したのを受けて中小派閥から建てられた三木内閣が田中の政治生命を奪わんとしてさらなる混乱(三木おろし)をきたした末、これを収束するため、先に福田が一期二年のみ首相をつとめて、大平に譲る、という取引の下(大福密約)、福田内閣が発足。その発足の経緯から、人事等は田中・大平両派に配慮したものになり、福田派は主に外交方針の異なる田中・大平両派相手に主導力を発揮できず、行政課題の消化に終始する。

それでも福田政権の前半は、主力三派の連合ゆえに政局は安定し、第11回参議院議員通常選挙(1977年7月10日)で自民党は勝利。順調な政権運営を見た福田は、権力基盤の強化による密約の無効化と政権の長期化を企図し、11月28日、内閣改造に踏み切る。人事では、福田派内で大福密約を主導した園田直が、内閣の要である官房長官から外相に転出し、後任の官房長官には自派の後継である安倍晋太郎が就いた。

主な政策と出来事

1978年に入ると、同年秋の総裁選で密約通りの禅譲が行われるのかを巡り政局が騒然となる。福田は、解散総選挙に踏み切って勝利し、有無を言わせず総裁続投を勝ち取ることを目論む。これに田中、大平両派は反対し、両陣営の間での腹の探り合いが行われる。結局、福田は総裁選立候補を表明。大平も立候補し、密約は完全に崩壊した[1]

しかし総裁選では、報道による事前情勢での福田優位で安堵した福田陣営を、大平陣営、特に田中派が、今回から導入された党員予備選挙の有権者への大規模なローラー作戦を展開。形勢は逆転し、大平が大差で一位となった。福田は本選を辞退して、大平が勝利。第1次大平内閣が発足する。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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