稲生町 (名古屋市)
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字一覧
名古屋市西区東部に位置する[1]。東は桝形町、西は庄内通・名塚町、南は江向町、北は北区福徳町に接する[1]。西から順に1丁目から7丁目があり、字杁先が北側に所在する。
稲生町の小字は以下の通り[WEB 5]。消滅した字については背景色 で示す。
| 字 | 字 |
|---|---|
| 天塚(あまつか) | 井桁東(いげたひがし) |
| 鼬塚(いたちつか) | 一町五反(いっちょうごたん) |
| 杁先(いりさき) | 江西(えにし) |
| 江向(えむかえ) | 香呑(こうのみ) |
| 三反地(さんたんち)[注釈 1] | 山王(さんのう) |
| 新屋敷(しんやしき) | 十三割(じゅうさんわり) |
| 曽根(そね) | 鷹縨(たかほろ) |
| 大門(だいもん)[注釈 2] | 酉新田(とりしんでん) |
| 野端(のはし) | 箱町(はこまち) |
| 細池(ほそいけ) | 本町(ほんまち) |
| 前浪(まえなみ) | 又尾(またお) |
| 三ツ井(みつい) | 宮西(みやにし) |
| 宮東(みやひがし) |
河川
歴史
稲生町1丁目には古代から中世の須恵器などが出土する「稲生遺跡」がある。
町名の由来
江戸期の春日井郡稲生村を前身とする。中世までは山田郡に属した。
平安中期成立の『延喜式神名帳』に「山田郡...伊奴神社」とあり、伊奴神社の「伊奴」(いぬ)が転じて「稲生」になったという説がある。語源については諸説あり、藺沼(いぬま)から転じた説、伊奴の表記が犬に通じることを避けるため表記を稲生に改めた説などがある[2]。
「稲生」という地名自体は南北朝期から確認でき、貞治4年(1365年)付『足利義詮安堵状』に「尾張国山田庄内水田弐町 在稲生郷 地頭免田内」とある[2]。この他に『山王一心三観相伝』応永12年(1405年)奥書に「尾州山田荘稲生」、『梅花無尽蔵』に「山田稲生庄光音寺」とあり、室町期には「稲生郷」「稲生庄」と称したらしい。戦国期には稲生の戦いが起きたことで知られている。
行政区画の変遷
- 1880年(明治13年) - 所属していた春日井郡の分割に伴い、西春日井郡に所属[2]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 庄内村に編入され、同村大字稲生となる[3]。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 町制施行に伴い、庄内町大字稲生となる[3]。
- 1937年(昭和12年)3月1日 - 合併に伴い名古屋市西区稲生町となる[3]。
- 1942年(昭和17年)2月1日 - 一部が庄内通・桝形町・江向町・又穂町・香呑町・天塚町[3]および中丸町・光音寺町[4]にそれぞれ編入される。
- 1945年(昭和20年)1月1日 - 一部が光音寺町に編入される[4]。
- 1949年(昭和24年)2月1日 - 一部が庄内通に編入される[3]。
- 1954年(昭和29年)5月1日 - 一部が城北町および貝田町にそれぞれ編入される[5]。
- 1956年(昭和31年)7月13日 - 一部が光音寺町に編入される[4]。
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
| 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|
| 名古屋市立稲生小学校 | 名古屋市立名塚中学校 | 尾張学区 |
交通
施設
- 福徳郵政宿舎
- 名古屋市営稲生荘
- 稲生公園
- 庄内橋自動車学校
- 安性寺
- 妙本寺
- 伊奴神社
- 天理教名古屋志賀布教所
- 安性寺
- 稲生神明社
- 妙本寺
- 庄内橋自動車学校
