那古野
From Wikipedia, the free encyclopedia
那古野 | |
|---|---|
|
那古野交差点 (2022年(令和4年)10月) | |
| 北緯35度10分31.31秒 東経136度53分30.32秒 / 北緯35.1753639度 東経136.8917556度 | |
| 国 |
|
| 都道府県 |
|
| 市町村 |
|
| 区 |
中村区 西区 |
| 人口 (2019年(平成31年)2月1日現在)[WEB 1] | |
| • 合計 | 3,026人 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 | |
| 市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 4] |
| ナンバープレート | 名古屋 |
那古野(なごの、なごや)は、愛知県名古屋市中村区および西区にある町名。現行行政地名は那古野一丁目および二丁目。住居表示実施区域。
「那古野」は「名古屋」の古表記で、古来から「なごや」と読むのが通例であるが[注釈 1]、現行の行政地名には「なごの」という読みが制定されている。
名古屋市西区の南東端、中村区の北東端に位置する。
町丁としての「那古野」は、西区那古野一丁目、中村区那古野一丁目、西区那古野二丁目が存在する。これらは後述の通り1977年(昭和52年)・1978年(昭和53年)・1981年(昭和56年)の3回にわたる住居表示実施により、西区志摩町・上畠町・沢井町・橋詰町・替地町の全域と西区那古野町・大船町・五条町・塩町・隅田町・菊井通・千歳町・明道町・裏塩町・新道町の各一部地域、中村区小鳥町・大船町の各一部地域から成立した[1]。町丁名の由来となった那古野町の一部町域は、隣接する西区名駅二丁目・三丁目に組み入れられている[1]。
かつて愛知県愛知郡に存在した那古野村(なごやむら)が、1898年(明治31年)8月22日に名古屋市(なごやし)に編入され、1902年(明治35年)に那古野町(なごのちょう)となった[WEB 5]。
名古屋駅からみて北東方向、徒歩圏にあり近い割には比較的静かな街である。名古屋でも屈指の下町であり、食堂、古い民家などが多い。特に堀川沿岸の四間道は1986年(昭和61年)に名古屋市の街並み保存地区に指定され[WEB 6]、伊藤家住宅などの歴史的な建造物が残されている。
かつては名古屋市営バスの那古野営業所が置かれていたが[注釈 2]、名古屋市交通局旧那古野営業所用地活用事業として再開発され、2009年に名古屋プライムセントラルプロジェクトのオフィス棟「名古屋プライムセントラルタワー」とレジデンス棟「ブリリアタワー名古屋グランスイート」が完成した。
- 円頓寺商店街(西区那古野一丁目)
- 那古野交差点越しに見た名古屋プライムセントラルタワー(右)とブリリアタワー名古屋グランスイート(左)住居表示としては西区名駅二丁目。
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 1]。
| 区 | 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|---|
| 中村区 | 那古野一丁目 | 223世帯 | 306人 |
| 中村区 計 | 223世帯 | 306人 | |
| 西区 | 那古野一丁目 | 874世帯 | 1,393人 |
| 那古野二丁目 | 756世帯 | 1,327人 | |
| 西区 計 | 1,630世帯 | 2,720人 | |
| 計 | 1,853世帯 | 3,026人 | |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
| 1995年(平成7年) | 3,253人(西:2,984人・中村:269人[WEB 7]) |
|
||
| 2000年(平成12年) | 3,422人(西:3,113人・中村:309人[WEB 8]) | |||
| 2005年(平成17年) | 3,312人(西:2,992人・中村:320人[WEB 9]) | |||
| 2010年(平成22年) | 3,458人(西:3,020人・中村:438人[WEB 10]) | |||
| 2015年(平成27年) | 3,436人(西:3,097人・中村:339人[WEB 11]) |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 12]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 13]。
| 区 | 丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|---|---|---|
| 中村区 | 那古野一丁目 | 全域 | 名古屋市立笹島小学校 | 名古屋市立笹島中学校 | 尾張学区 |
| 西区 | 那古野一丁目 | 全域 | 名古屋市立なごや小学校 | 名古屋市立菊井中学校 | |
| 那古野二丁目 | 全域 |
歴史
町名の由来
「那古野」は名古屋の古名の1つであるが、確証のある説はない。『なごやの町名』においては、「浪越」(なみこし)からナゴヤに変化した説や、「饒屋」(にぎや)と呼んでいたのがナゴヤに変化した説が挙げられている[1]。1175年(安元元年)頃、藤原顕頼の子で東大寺別当であった顕恵が開発領主となって那古野荘が開かれた。顕恵は本家職を建春門院に寄進したとみえ、鎌倉時代には建春門院法花堂領とされている[2]。また、駿河の今川氏が尾張東部を領有していた時期の前線基地が那古野城であり、当地は今川氏の庶流で、室町幕府奉公衆もつとめた家格の那古野氏が支配し、尾張守護として斯波氏が任官された後もそのまま残留していた。このため地名として残ったとする説もある。
沿革
那古野町
- 1901年(明治34年)4月17日 - 下名古屋の一部より、那古野町が成立[3]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 行政区設置に伴い、西区所属となる[3]。
- 1977年(昭和52年)10月23日 - 一部が西区那古野二丁目・名駅二~三丁目となる[3]。
- 1978年(昭和53年)10月15日 - 残部が西区那古野二丁目・名駅二丁目に編入され廃止[3]。
那古野
施設
交通
鉄道
バス
- 名古屋市営バス「那古野町」バス停
道路
- 名駅通(愛知県道68号名古屋津島線)
- 桜通(愛知県道68号名古屋津島線)
- 江川線(名古屋市道江川線)
- 外堀通(愛知県道200号名古屋甚目寺線)
- 菊井通(名古屋市道東志賀町線)

