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佐藤公治

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生年月日 (1959-07-28) 1959年7月28日(66歳)
出身校 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
前職 電通従業員
佐藤守良衆議院議員秘書
佐藤 公治
さとう こうじ
生年月日 (1959-07-28) 1959年7月28日(66歳)
出生地 日本の旗 日本 広島県御調郡向島町
(現・尾道市)
出身校 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
前職 電通従業員
佐藤守良衆議院議員秘書
所属政党 (新進党→)
(自由党→)
(民主党→)
(国民の生活が第一→)
(日本未来の党→)
(生活の党→)
(生活の党と山本太郎となかまたち→)
(自由党→)
(希望の党→)
(無所属/結集ひろしま→)
(立憲民主党(小沢G)/結集ひろしま→)
中道改革連合
称号 法学士(慶應義塾大学・1983年)
親族 父・佐藤守良(元衆議院議員)
公式サイト 佐藤こうじオフィシャルサイト
選挙区 (比例中国ブロック→)
(広島6区→)
広島5区
当選回数 5回
在任期間 2000年6月25日 - 2005年8月8日
2017年10月22日 - 2026年1月23日
選挙区 広島県選挙区
当選回数 1回
在任期間 2007年7月29日 - 2013年7月28日
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佐藤 公治(さとう こうじ、1959年7月28日 - )は、日本の政治家。立憲民主党広島県連代表、政治団体「結集ひろしま」代表。

衆議院議員(5期)、参議院議員(1期)、参議院外交防衛委員長、衆議院沖縄北方問題特別委員長、民主党副幹事長、生活の党参議院幹事長等を務めた。

農林水産大臣や国土庁長官、北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官等を歴任した元衆議院議員の佐藤守良の次男[1]。

衆院選出馬、衆議院議員

2013年6月17日、広島県福山市での街頭演説にて

広島県御調郡向島町(現尾道市)生まれ[1]。慶應義塾高等学校卒業、慶應義塾大学法学部政治学科卒業[1]。大学卒業後、電通に入社。その後、父である佐藤守良の秘書に転じ、守良が第2次海部内閣で国土庁長官、羽田内閣で北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官に任命された際は、それぞれ秘書官を務めた[1]。守良は1996年3月に死去。

守良の死去により、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で広島6区から出馬したが、自由民主党前職の亀井静香に3万票超の大差で敗れた(新進党は加藤六月ら一部の例外を除き、比例代表への重複立候補を認めなかった)。新進党解党後、小沢一郎を中心に結党した自由党に参加した。2000年の第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で広島6区から出馬し、前回よりも票差をあけられ亀井に敗れたが、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し、初当選した。2003年、民由合併により民主党に入党。同年の第43回衆議院議員総選挙では、亀井に約1万7千票差まで迫ったものの敗れ、再び比例復活で再選。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化に反対した亀井が自民党を離党し、国民新党から出馬。自民党は無所属で立候補した堀江貴文を推薦し、両者の争いに埋没した佐藤は比例復活もならず落選した[2]。

参議院議員

2007年、第21回参議院議員通常選挙に国民新党の亀井静香の支援も受けて民主党公認で出馬し、現職の国家公安委員会委員長である自民党現職の溝手顕正を上回る得票数で当選した。2009年10月、小沢一郎民主党幹事長の下で副幹事長に起用される[1]。

2010年6月2日、鳩山由紀夫が民主党代表と首相辞任を表明[3]。鳩山の辞任に伴う代表選挙(6月4日投開票)では樽床伸二の推薦人に名を連ねた[4]。同年、参議院外交防衛委員長に就任した[1]。

2011年8月26日、菅直人首相が民主党代表辞任を正式に表明[5]。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日投開票)では海江田万里の推薦人に名を連ねた[6]。

2012年7月2日、野田佳彦首相が推進する消費増税の方針に反発し、民主党に離党届を提出し[7]、翌7月3日に受理された[8]。7月11日、国民の生活が第一の結党に参加し、党財務委員長に起用された[9][10]。同年11月28日、嘉田由紀子滋賀県知事が代表を務める日本未来の党に参加[11]。同年の第46回衆議院議員総選挙後の分党により、生活の党に参加し、党参議院幹事長を務める。2013年の第23回参議院議員通常選挙に生活の党公認で広島県選挙区から出馬したが、6人中4位の得票数で落選した。

2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、かつての対抗馬だった亀井静香陣営の選対本部長を務めた[12]。

国政復帰、衆議院議員

第48回衆議院議員総選挙に際しては、当初自由党(旧生活の党)からの出馬が内定していたが、自由党は希望の党への合流を模索し[13]、佐藤は希望の党公認で出馬[14]。亀井は不出馬を表明し、佐藤支持を表明[14]。連合広島からも支援を受け[15]、広島6区で自民党前職の小島敏文を破り、4年ぶりに国政復帰を果たした(小島も比例復活)[16][17]。

2018年5月7日に民進党・希望の党が合流して結党した国民民主党には参加を見送り、当面は無所属で活動する意向を表明した[18]。同年6月23日、森本真治参議院議員(国民民主党広島県連代表)らと会見を開き、立憲民主党・国民民主党・社会民主党の県内組織などで構成される、野党連携を推し進めるための任意団体「国民主権を取り戻すために結集する広島政党連絡会」(略称:結集ひろしま)の設立を発表[19]。

2019年3月1日、国民民主党の衆院会派に入会した[20]。6月23日、「国民主権を取り戻すために結集する広島政党連絡会」が政治団体として正式に設立され、佐藤が代表に就任した[21]。

2020年8月24日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で合流新党を結成することで合意した[22]。同年9月10日に行われた新「立憲民主党」の代表選挙では枝野幸男の推薦人に名を連ねた[23]。同年10月4日、新立憲民主党の広島県連設立大会が開催され、県連代表に就任した[24]。

2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で小島を破り4選(小島は比例復活で当選)[25][26]。

12月13日の立憲民主党の常任幹事会で、次期衆院選において広島5区からの出馬が内定した[27]。

2024年9月23日に実施された代表選挙では野田佳彦の推薦人に名を連ねた[28]。同年10月27日の第50回衆議院議員総選挙で同じく5区から出馬した小島らを破り5選[29]。

2026年1月、新たに設立された中道改革連合に合流。2月8日投開票の第51回衆議院議員総選挙では、自民党の新人・山本深に惜敗した。比例中国ブロックの重複立候補者の中では最も惜敗率が高かったが、中道改革連合が獲得した2議席は上位の単独立候補者(旧公明党)に占められ、復活もならなかった[30]。

政策・主張

選挙

脚注

外部リンク

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