群論の歴史
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群論(さまざまな形の群を研究する数学の分野)は、様々な分野で同時に発展してきた。群論は3つの歴史的な起源がある: 代数方程式論、数論と幾何学である[1][2][3]。ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、パオロ・ルッフィーニ、ニールス・ヘンリック・アーベル、エヴァリスト・ガロアは、群論の分野の初期の研究者であった。
置換群の発展
群の研究と呼べる最初のものは、おそらく18世紀後半のラグランジュの仕事に遡る。しかし、この研究はやや孤立しており、一般的にはオーギュスタン=ルイ・コーシーとガロアの1846年の出版物が群論の始まりとされている。理論は何もない状態から発展したわけではなく、その前史の中で3つの重要な流れがあった。
1つ目の群論の根本的な起源は、四次方程式よりも次数の大きな多項式からなる方程式の解の探求であった。
その始まりは、与えられた n 次方程式から、その式の m 個の根を解としてもち である m 次方程式を導き出す問題に見られる。単純なケースでは、問題はヨハネス・ファン・ワーフェレン・フッデ(1659)まで遡る[4]。ニコラス・ソーンダーソン(1740)は、双二次方程式の二次因子の決定は必然的に六次方程式に帰着すると記しており[5]、トマ・ルスール(1703–1770)(1748)[6][7]とエドワード・ウェアリング(1762-1782)はそのアイデアをさらに洗練させた[8]。ウェアリングは、対称式の基本定理を証明し、とくに、四次方程式の根と、そのレゾルベント(分解式)である三次方程式の間の関係を考察した。
ラグランジュ(1770, 1771)の研究目標は、なぜ三次方程式と四次方程式は根の公式を求めることができるのかを理解することであり、その成果は、根の置換のなす群が鍵となる要素であるということであった[9]。彼は、彼が調べた全てのラグランジュ・レゾルベント(résolvantes, réduites)の根が、それぞれの方程式の根の有理関数で表されることを発見した。これらの関数の特性を研究するために、彼は組合せの算法[10]を考案した。同時代のアレクサンドル=テオフィル・ヴァンデルモンド(1770)は、対称関数と円分多項式の解の理論を開拓した[3][11]。レオポルト・クロネッカーは、代数学の新たな流行はヴァンデルモンドの第一論文に始まるという発言が引用されている[12]。同様に、コーシーもラグランジュとヴァンデルモンドの両者を対称関数と変数の置換の研究に関する功績を称えている[13][14][より良い情報源が必要]。
パオロ・ルッフィーニ(1799)は、五次方程式以上の方程式を解くことが不可能であることの証明を試みた[15]。ルッフィーニは、置換群の理論、例えば元の位数、共役、置換群の元の巡回置換の積への分解といったアイデアを探求した最初の人物である。ルッフィーニは、今日、非推移的および推移的と呼ばれる概念や、非原始的群および原始的群と呼ばれるものを区別し、(1801)では、ある方程式の群を置換の集合という呼び名で使用している。彼はまた、群というアイデアが際立っているとする彼自身に宛てられたピエトロ・アッバーティからの手紙を公開した[16]。しかしながら、彼は群の概念、あるいは置換群の概念でさえ、形式化には決して至らなかった。

エヴァリスト・ガロアは、群論と体論を、今日ガロア理論と呼ばれている理論によって結びつけた最初の数学者として称えられている[3]。ガロアは、モジュラー方程式や楕円関数に関する理論にも貢献している[17][18]。群論に関する彼の最初の出版物は18歳の時(1829)に刊行されたが、彼の貢献は、没後の1846年に論文集(Liouville, Vol. XI)が出版されるまで、ほとんど注目を集めなかった。彼は、置換群がもつ、現在閉性と呼ばれる特性に関して考察し、それについて彼は
このような群の中に置換SとTが存在するなら、置換STも存在することになる。
と述べている。 ガロアは、ある方程式のn個の根がであるとしたら、r同士の置換からなる群で、以下の2条件
- その群が含む置換に対して不変な、根を変数とする関数式は有理式の形をとる
- 逆に、根の有理式の形で表される関数は、群に含まれる置換に対して不変である
を満たすものが常に存在することを発見した。 現代の用語で言えば、方程式に結びついたガロア群の可解性が、方程式の冪根による可解性を決定するということである。
ガロアは、最初に群(フランス語でgroupe)および原始的という単語を現代と同じ意味で使った人である。彼は原始的群という言葉は使わなかったが、ガロア群が原始的である方程式を原始的方程式と呼んでいる。彼は、正規部分群の概念を発見し、可解な原始置換群は素数冪位数の有限体上のアフィン空間へ作用するアフィン群の部分群として特徴づけられることを発見した[19]。
ガロア群に類似の群は、(今日)置換群と呼ばれている。置換群の理論は、オーギュスタン=ルイ・コーシーとカミーユ・ジョルダンの手により、新たな概念の導入と、まず何より置換群の特殊な諸クラスに関する豊富な結果と、それに加えいくつかの一般的定理によって、さらなる飛躍的な発展を遂げた。特筆すべき成果としては、ジョルダンは準同型の概念を(置換群の文脈に限られてはいたが)定義した。群という用語を一般に普及させたのもジョルダンである。
抽象的概念としての有限群は、アーサー・ケイリーの1854年の論文群の理論について、記号方程式を出発点として[20][21]が初出である。ケイリーは、全ての有限群は置換群の部分群であると主張した。この成果は今日ケイリーの定理として知られている。その後何年かをかけて、ケイリーは系統的に無限群と行列の代数的特性、例えば積の結合則や逆行列の存在、特性多項式などを探求した。
幾何学に関連する群論


第二に、幾何学における系統立った群の利用は、主に対称性の群という形で、フェリックス・クラインによる1872年のエルランゲン・プログラムに始まる[22][23]。 現在リー群と呼ばれているものの系統立った研究は、1884年にソフス・リーが創始し、ヴィルヘルム・キリング、エドゥアルト・シュトゥーディ、イサイ・シューア、ルートヴィヒ・マウラーおよびエリ・カルタンの仕事がそれに続いた。不連続な(離散群の)理論はクライン、リー、アンリ・ポアンカレおよびシャルル・エミール・ピカールによって、とくにモジュラー形式やモノドロミーと密接に関わりながら構築された。
数論における群の出現

群論の第三の起源は数論である。レオンハルト・オイラーは、フェルマーの小定理を独自に拡張する際に、ある整数を法とした、数の代数的操作-モジュラー算術-を考察した。これらの研究を大幅に発展させたのは、nを法とした整数の剰余の乗法群を考え、それによって現れた巡回群や、より一般的にはアーベル群に関する数多くの性質を確立したカール・フリードリヒ・ガウスである。ガウスは、二元二次形式の構成に関する研究において、形式の合成に関して結合則が成り立つことを明示的に述べた。1870年、レオポルト・クロネッカーは数体のイデアル類群の研究の中でアーベル群の定義を与え、ガウスの成果をより一般化した。エルンスト・クンマーの、フェルマーの最終定理を証明しようとした試みは、素元分解を記述する群の導入に結実した[24]。1882年、ハインリヒ・M・ヴェーバーは置換群とアーベル群の結びつきに気づき、両側消去律を含む定義を与えたが、彼の扱っていた状況(有限群)には十分な、逆元の存在が欠けていた[25]。
収束

ますます独立した主題となってきた群論は、代数学の教科書の第四部をこの理論に費やしたジョセフ・アルフレッド・セレ、この分野の古典である Traité des substitutions et des équations algébriques (置換と代数方程式に関する論考) (1870) を著したカミーユ・ジョルダン、そして著作置換と代数におけるその応用(1882)がコールによって英訳(1892)されたオイゲン・ネットーによって一般的なものになった。19世紀のその他の群論学者には、ジョゼフ・ルイ・フランソワ・ベルトラン、シャルル・エルミート、フェルディナント・ゲオルク・フロベニウス、レオポルト・クロネッカーおよびエミール・マシュー[3]がおり、その後にはウィリアム・バーンサイド、レナード・ユージーン・ディクソン、オットー・ヘルダー、E. H. ムーア、ルートヴィヒ・シローおよびハインリヒ・マルティン・ヴェーバーがいる。