義務について

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ルネサンス期の刊本

義務について』(ぎむについて、ラテン語: De Officiis、『義務論』(ぎむろん)とも[1])は、古代ローマキケロの著作。前44年成立。ストア派プラトン折衷的立場から道徳について論じる。キケロ全著作中で後世への影響が最も大きいとされ[2]カント義務論などに影響を与えた。

成立

キケロ最晩年の前45年から前44年にかけて、『ホルテンシウス』を皮切りに成立した一連の哲学著作の一つにあたる。

具体的な成立時期は、前44年11月と推定される[3]。当時キケロは、9月にアントニウス弾劾演説(ピリッピカ)をした後、プテオリの別荘に逗留し、友人アッティクス書簡アッティクス宛書簡)で相談しつつ本書を執筆[3]。12月から著作活動をやめて政争に身を投じ、翌年12月に死亡した[3]

書簡形式

本書は、キケロの息子(小キケロ、当時22歳)宛ての書簡の形式をとっており[3]、他の哲学著作が対話篇形式であるなか唯一異なる。

息子宛てだが、実際の想定読者は、他著作と同様ローマの若者全員だった[4][1]。その背景には、キケロがカティリナ弾劾で得た称号「祖国の父」(パテル・パトリアエ英語版)があった[5]

当時、小キケロはキケロの勧めでアテナイペリパトス派クラティッポス英語版のもとに留学中であり、本書はその話題から始まる[6]

パナイティオスの『義務について』

本書は全3巻からなり、第1,2巻は、ストア派パナイティオスの著作『義務について』(古希: Περί του καθήκοντος、断片のみ現存)の忠実な紹介となっている[7][8][9]

一方、第3巻は、パナイティオスが論じずに済ませた問題について、ポセイドニオスヘカトン英語版プラトンら他の哲学者や歴史の故事をもとに論じる[10]

パナイティオスは、キケロが理想視した小スキピオの知的サークル「スキピオ・サークル英語版」の一員であり、ローマにストア派を広めた人物だった[11][9]。同時に、単なるストア派でなくプラトンやアリストテレス折衷の面もある人物だった[12][9]

義務・カテーコン・オッフィキウム

本書のいう「義務」は、古代ギリシア語の「カテーコン英語版」(古希: καθῆκον)、ラテン語の「オッフィキウム英語版」(: officium)の訳語である。

「義務」はあまり適切な訳語でなく[13]、より正確には「ふさわしい行為」[14][15][16]自然本性に即した行為」[14][17]理性ロゴス)に基づいた行為」[18]を意味する。具体的には「父母や祖国を敬うこと」「友人と仲良くすること」「健康に留意すること」などの道徳的行為を指す[18]

ストア派倫理学において「義務」は2種あり[19][14][20]

  1. 「完全義務」(: perfectum officium古希: κατόρθωμα、カトルトーマ)[19] - ストア派の理想的賢者の義務。現代倫理学でいう「完全義務と不完全義務」とはやや異なる[21]
  2. 「中間義務」(: medium officium古希: μέσον καθῆκον、メソン・カテーコン)[19] - 一般人の義務。

とに分けられる。本書では「中間義務」を扱い、「完全義務」は『善と悪の究極について英語版』で扱う[14]

「オッフィキウム」は、キケロが「カテーコン」にあてた日常的ラテン語であり[15]、英語の「オフィス」(: office)などの語源でもある[22]

内容

第1・2巻では、義務とは「徳性」(: honestum、立派さ・高潔さ・美しさ)がある行為、または「有益性」(: utilitas、利益・功利)がある行為であるとし、「徳性」と「有益性」について分析する[23][24]。第3巻では、「徳性」と「有益性」が衝突する場合はどうするか、という問題を論じる[10][24]。最終的に、「徳性」と「有益性」が対立することはありえない(衝突しているのは見かけだけであり、悪徳だが有益という行為は実際は有益でない)と結論する[23][25]

具体的なトピックは多岐にわたり、

などがある。

受容

本書は古代から19世紀まで、倫理学の古典として読まれた[9]。同時に、ラテン語散文の模範として教科書に広く使われた[2]

古代ローマでは、ホラティウス[2]セネカ[2]大プリニウス[2]ウィトルウィウス[38]らが受容した。ラテン教父アンブロジウスは、本書を下敷きにキリスト教倫理を述べる『教役者の義務についてwikidata』を著した[5][16]

中近世ヨーロッパでは、ソールズベリのジョン英語版[39]トマス・アクィナス[30]ダンテ[40]ペトラルカ[2]エラスムス[2]マキャヴェッリ[16]グロティウス[41][16]モンテスキュー[41][42][16]フリードリヒ大王[2][43]ジョン・ロック[30][32]フランシス・ハチスン[44]アダム・スミス[45][16][46][44]トマス・リード[47]ミル[30]ヘーゲル[48]らが受容した。

19世紀以降は、文献学の発達により本書の校訂などが進んだ[2]。一方、哲学上の独自性が疑問視されるようになり、思想的影響力は低下した[2]

カント

フリードリヒ大王は本書に感銘を受け、ドイツ語訳の制作を学者に命じた[44]。これを受け、クリスティアン・ガルヴェ英語版がドイツ語の訳注(1783年)を著した[41]

カント『人倫の形而上学の基礎づけ』(1785年)は、このガルヴェの訳注に対する批判的応答として書かれた、と一般に言われる[41]。カントはキケロの「世俗的道徳哲学」「自然の導き」による義務を否定して、理性の優位を主張した[41]。しかし同時に、キケロの「人間性」(フマニタス英語版)などの思想に影響を受けてもいた[41]

また、カント『人間愛からなら嘘をついてもよいという誤った権利について英語版』(1797年、通称「カントの嘘論文」)では、キケロと対照的に「嘘も方便」を否定している[29]

引用

  • 「…義務こそはすべての哲学者に共通の問題である。…義務について何の教えも伝えずに、一体、誰があえて自分を哲学者と称することができよう。」[49]
  • 「とりわけて人間の本領は真実の探求と追究である。…この(人間という)動物だけが、秩序とは何か、均整美とは何か、行為と言動について許される限度がどこにあるかを感得する。…これらのことが相まって形作られるのが、われわれの探し求める徳性である。たとえ尊ばれずとも立派であり、たとえ誰からも賞賛されずとも本性的に賞賛すべきだと正しくわれわれが言える徳性である。」[50]
  • 「…国事に関してもっとも守られるべきは戦争の正義である。戦争の決着方法は二種類、論議を用いるか武力を用いるかである。このうち前者は人間特有のものであり、後者は獣のなすところであるから、後者の手段に訴えるのは前者が通用しない場合にかぎらねばならない。それゆえ、戦争を起こす理由は不正のない平和な生活のためであらねばならない一方、いったん勝利が得られれば、戦争中に残忍でも野蛮でもなかった人々の命は守られねばならない。」[51]

日本語訳

参考文献

著者五十音順
  • 角田幸彦『体系的哲学者キケローの世界 : ローマ哲学の真の創設』文化書房博文社、2008年。ISBN 978-4-8301-1123-5 
  • 門亜樹子 著「義務論(キケロからの展開)」、日本18世紀学会 啓蒙思想の百科事典編集委員会 編『啓蒙思想の百科事典』丸善出版、2023年、202-203頁。ISBN 978-4-621-30785-4 
  • 加藤尚武『現代倫理学入門』講談社講談社学術文庫〉、1997年。ISBN 978-4-06-159267-4 
  • 加藤尚武「キケローからミルへ」『実践哲学研究』第23号、実践哲学研究会、2000年。 NAID 120000892494http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/jk/jk23/kato.html 
  • 國方栄二『ギリシア・ローマ ストア派の哲人たち セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス』中央公論新社、2019年。ISBN 9784120051579 
  • 近藤智彦 著「ローマに入った哲学」、伊藤邦武山内志朗中島隆博納富信留 編『世界哲学史 2』筑摩書房ちくま新書〉、2020年。ISBN 9784480072924 
  • 高橋宏幸「『義務について』解説」『キケロー選集9 哲学II : 大カトー・老年について / ラエリウス・友情について / 義務について』岩波書店、1999年。ISBN 9784000922593 
  • 廣川洋一「義務論の淵源を尋ねて(上)」『思想』第1121号、岩波書店、2017a年。 NAID 40021293740 
  • 廣川洋一「義務論の淵源を尋ねて(下)」『思想』第1122号、岩波書店、2017b年。 NAID 40021319524 
  • 松尾大 著「キケロの受容」、日本18世紀学会 啓蒙思想の百科事典編集委員会 編『啓蒙思想の百科事典』丸善出版、2023年、200-201頁。ISBN 978-4-621-30785-4 
  • 山田庄太郎「提題 アンブロシウスと枢要徳 : キケロの影響とアンブロシウスの独自性」『中世思想研究』第62号、中世哲学会、2020年。 NAID 40022417862https://jsmp.jpn.org/jsmp_wp/wp-content/uploads/smt/vol62/110-118_tokushu-yamada.pdf 

関連文献

脚注

関連項目

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