茶屋の原
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河川
地域の特徴
歴史
江戸時代には馬場山村の枝郷だった地域であり、黒崎宿から木屋瀬宿へ通じる長崎街道の作出で、現在も一里塚跡が残っている[4]。茶屋の原団地は北九州市住宅供給公社によって開発された住宅街であり、1972年(昭和47年)から入居が始まった。
町名の由来
文禄の役の際、豊臣秀吉が休んだ茶屋があったことに因む[4]。
沿革
町名の変遷
| 実施内容 | 実施年月日 | 実施後 | 実施前 |
|---|---|---|---|
| 町名新設 住居表示 |
1987年(昭和62年)6月1日 | 茶屋の原一丁目 | 大字馬場山の一部[5][6] |
| 茶屋の原二丁目 | 大字馬場山の一部[5][6] | ||
| 茶屋の原三丁目 | 大字馬場山の一部[5][6] | ||
| 茶屋の原四丁目 | 大字馬場山,大字楠橋の各一部[5][6] |
世帯数と人口
2025年(令和7年)3月31日現在(北九州市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 町 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 茶屋の原一丁目 | 102世帯 | 180人 |
| 茶屋の原二丁目 | 221世帯 | 491人 |
| 茶屋の原三丁目 | 391世帯 | 710人 |
| 茶屋の原四丁目 | 275世帯 | 537人 |
| 計 | 989世帯 | 1,918人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 1995年(平成7年) | 1,793人 | [9] | |
| 2000年(平成12年) | 1,724人 | [10] | |
| 2005年(平成17年) | 1,673人 | [11] | |
| 2010年(平成22年) | 1,747人 | [12] | |
| 2015年(平成27年) | 1,739人 | [13] | |
| 2020年(令和2年) | 1,777人 | [14] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 1995年(平成7年) | 599世帯 | [9] | |
| 2000年(平成12年) | 643世帯 | [10] | |
| 2005年(平成17年) | 662世帯 | [11] | |
| 2010年(平成22年) | 715世帯 | [12] | |
| 2015年(平成27年) | 730世帯 | [13] | |
| 2020年(令和2年) | 761世帯 | [14] |
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[15]。
| 町 | 街区・戸番 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 茶屋の原一丁目 | 全域 | 北九州市立池田小学校 | 北九州市立千代中学校 |
| 茶屋の原二丁目 | 全域 | ||
| 茶屋の原三丁目 | 全域 | 北九州市立楠橋小学校 | 北九州市立香月中学校 |
| 茶屋の原四丁目 | 全域 |