山田春三
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長門国阿武郡、現在の山口県萩市[3][5]で、長州藩士・村岡忠治の二男として生まれる[4]。1874年(明治7年)11月、山田久允の養子となり[4]、1876年(明治9年)6月、家督を相続した[4]。
1875年(明治8年)山口県第十二大区学区取締に就任[6]。萩の乱の功により、1877年(明治10年)山口県十等属・警部となる[6]。以後、山口県警部長、岩手県警部長、岩手県権少書記官、山梨県・奈良県・愛知県・佐賀県・京都府の各書記官などを歴任[2]。
1898年(明治31年)4月、福島県知事に就任[6]。第2次山縣内閣の増税命令を実行しようとして県会と対立し、二度の県会解散を行った[6]。1900年(明治33年)10月、埼玉県知事に転じた[7]。1902年(明治35年)2月、静岡県知事となる[8]。1904年(明治37年)1月、広島県知事に就任し[9]、日露戦争の対応に尽力し[9]、1907年(明治40年)1月まで在任した[9]。
1906年(明治39年)12月15日、貴族院勅選議員に任じられ[10][11]、研究会に属し死去するまで在任した[2]。1912年(大正元年)9月4日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[12]。
